父親の「ことば」その三2016/09/18 07:33

 「また始まった、おじいさんのカイコロ話」と、広瀬すずちゃんに言われそ うだが、その三である。 父は「文はここに至りて畢竟、人なり、人生なり」 という山形県鶴岡市の公園にある高山樗牛の碑の文句も話していた。 父は鶴 岡で生まれたが幼い時に、馬場の家の養子になって、芝白金志田町で育った。  母は父のことを悪く言う時、それを「志田町のあたりで這いずり回っていた」 と言っていた。 母がずいぶんストレートな言い方をしたものだと、時々家内 と一つ話にして笑う。

 芝に育った、まあ江戸っ子だから、こんなのも教わった。 「市兵衛さん荷 をしょって秋刀魚のしものを五把買ってろくでもないもの質おいて恥かいてく そ踏んで飛び立った。」 「神田鍛冶町の角の乾物屋で勝ち栗買ったら硬くて噛 めないカカアにやったら蚊帳から出て来てカリカリ噛んじゃった。」  (お経の調子で) 「ぜんもんのぎーすーに るーさーがびきさん がーさり がーさった がーさりがーさりよーも るーあーに たーまーきんを ぎーに って がーさりがーさった。」

 「にぎりっぺは三里臭い」という話もあった。 ある男が、「にぎりっぺは三 里臭い」という話を聞いて、本当かどうか試してみた。 ふんどしをずらすと、 ブッとやって、パッとつかんだ。 半里ほど行って、指を少し開いて嗅いでみ ると、臭いではないか。 また半里、計一里行って、嗅いでみると、まだ臭い。  さらに一里、都合二里行って、嗅いでみたら、まだまだ臭い。 ついに三里行 って、嗅いでみると、なるほど臭い。 やはり話は本当だったかと、手を開い てみると、本物を握っていた。

 エンドレスのしりとり歌もあった。 「♪正直爺さんポチ連れて 敵は幾万 ありとても 桃から生まれた桃太郎 お月さん 何て間がいいんでしょう 正 直爺さんポチ連れて~」

 中央商業の学生時代に歌っていた歌というのを、弟が記憶していた。 「♪ 橋~のぉ~上からぁビリ糞たれりゃ~、下のドジョウは~たまごとじ~、よー い、よーい、でっかんしょ。」「♪色は真っ白けーで、ギンニャモニャ、チュウ ショの生徒はねー・・・(真っ黒ケー・バージョンもあったような・・・)」

 さらに「♪キプラカチャカポコ、ヨイショキタネ、ホラギンニャモニャ。」と いうのがあり、歌詞の「ギンニャモニャ」をネットで検索していたところ、熊 本民謡に、肥後キンニョムニョ節という唄があったという。 弟は、親父さん が小さい頃、清正公さまのお祭りで聞いたのかもというけれど、学生時代に親 戚で熊本から出て来て大学に通っている人と付き合いがあったから、その人に 習ったのかもしれない。

https://www.youtube.com/watch?v=JL2YPkTLh9Q 「肥後の駒げた キンニョムニョ 血だるま 大川 加藤清正 キンニョムニ ョ 毒饅頭 キクラカチャカポコ チョイトキナヨ」という唄だそうだ。

 その人につながる縁で、熊本から一家でガラス工場に働きに来て、親類が増 え重要な働きをしてくれた人たちがいたり、寮を息子さんが大学に通う下宿に 提供したり、父が肥後椿を育てて自慢にしたりということもあった。