ある時代の終り2016/10/30 07:35

     等々力短信 第620号 1992(平成4)年11月25日

             ある時代の終り 

 ことしの夏「裕次郎映画の時代」という題で、関川夏央さんの本から「むか し大掃除というものがあった」ことや、畳の下から出てくる新聞の面白さに同 感した話を書いた。 かなり前に、そんな「畳の下敷」新聞の、親玉のような ものを頂戴した。 明治45年7月30日(翌日大正に改元)から、大正元年9 月30日までの二か月間の「大阪毎日新聞」が、渋紙の「たとう」におさまっ ている。 つまり、明治天皇の危篤、崩御、大正への改元、御大葬、乃木大将 の殉死といった、一連の出来事を含む期間である。 そうしたニュースはもと より、外国電報や連載小説、雑報や広告を見ているだけでも、面白いことはた しかに面白い。 時間の経つのも、忘れるほどだ。 けれど八十年前のこの貴 重な新聞、私には、「宝の持腐れ」という感じがしてならないのだ。

 「夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。其時私は明治の精神が天皇 に始まつて天皇に終つたやうな気がしました」。 夏目漱石の『こゝろ』「先 生の遺書」の一部である。 三角関係から、親友を自殺に追い込んだ過去を持 つ「先生」は、強い罪悪感と孤独感に悩まされていたのだが、明治天皇が崩御 し、御大葬の夜に乃木大将が殉死したとき、ついに自殺を決意する。 御大葬 と乃木の殉死は9月13日のことであった。 9月18日に青山斎場で行なわれ た乃木の葬儀に参列した森鴎外は、その日『興津弥五右衛門の遺書』を書いて、 中央公論に寄せた。 乃木大将と似た理由で殉死をとげた細川藩士に取材した この最初の歴史小説を転機として、鴎外は一貫して日本の伝統を尊重する立場 をとり、この後、史伝や考証を中心に小説や戯曲でも、歴史に取材したものし か書かなくなった(イプセンの『ノラ』の翻訳や広範な西洋学問思想の紹介を 除く)。

皆様とご一緒に、私も昭和という時代の終りを経験したわけだが、漱石や鴎 外が、明治という時代の終焉に感じたほどの、強烈な喪失感を持たなかった。 いずれ時間がたてば、はっきりするのかと思っているうちに、平成4年も終ろ うとしている。 時代は昭和から平成へスムーズに連続してしまったという感 じだ。 感受性の不足だろうか。

八十年を生き残ってきたこの新聞の束、漱石や鴎外か、明治大正の研究者な ら、役に立つのではないかと思うのだが…。 どなたか、活用して下さる方は いないだろうか。