<八月や六日九日十五日>という句 ― 2016/11/11 06:15
俳誌『夏潮』2013(平成25)年8月号の課題句は「八月」だった。 私は 同年4月末の〆切までに、<八月や六日九日十五日>という句をつくって投句 し、8月号に掲載された。 単純な提示だが、リズムもいいし、それぞれの人 に深いことを考えさせる、ちょっと、いい思いつきだと思った。 いうまでも なく、八月十五日は終戦記念日、『歳時記』には「八月十五日」「終戦の日」の 季題がある、江國滋さんは「日本忌」を提案した日であり、六日は広島、九日 は長崎の原爆投下の日である。
『夏潮』のお仲間、前北かおるさんの今年8月15日のブログ「俳諧師 前北 かおる」を読んで、驚いた。 題は「小林良作『八月や六日九日十五日』」。 前 北さんは、『鴻(こう)』編集長の谷口摩耶さんから、小林良作著『八月や六日 九日十五日』(平成28年7月・『鴻』発行所出版局)を贈られたという。 こ の本は<八月や六日九日十五日>という句を巡る調査リポートであった。 小 林良作さんは、自身が『鴻』俳句会の全国大会に<八月の六日九日十五日>を 詠んで投句したところ、事務局から先行句があると指摘され、それをきっかけ に先行句と作者を探し始めたという。 そして、この句の句碑が大分県宇佐市 にあり、広島県尾道市の医師、故諫見勝則氏が1992(平成4)年に詠んだのが 最初らしい、と突き止めて、現地に飛んだという。
前北さんが「私もこの句はどこかで読んだことがあったような気がしました」 と書いていたので、私は早速「前北さんがご覧になったというのは、その句(上 記『夏潮』2013(平成25)年8月号の私の句)かもしれません。先行句につ いては、まったく知りませんでした。」とコメントした。 前北さんは、「この 本によれば、小川軽舟さんが、この句を最も作者の多い句とおっしゃっている そうです。なるほどと思いました。」と、返してくれた。
11月5日の朝日新聞朝刊は、小林良作著『八月や六日九日十五日』を、小林 さんがこの本を持って笑っている写真とともに、紹介した(小川雪記者)。 見 出しは、俳句の他に「四半世紀 読み継がれた戦争」「「最初の詠みびと」追いか け本に」。 小林良作さん(72)は千葉市の元法務省職員で、この句の上五を 「八月の」として『鴻』に投稿したのは2014(平成25)年だったという。 す ると「似た句がある」との知らせ、永六輔さんが著書やラジオで紹介したとい う。 図書館やネットで調べると、少なくとも6人が「八月や」「八月の」な どと詠んでおり、上記の句碑の作者諫見(いさみ)勝則さんは、小林さんの投 句の直前に88歳で亡くなっていた。 諫見さんは、海軍兵学校に入って江田 島から広島の原爆のキノコ雲を見、戦後は長崎医科大学(当時)で学んだ。 句 は、1992(平成4)年に製薬会社情報誌の俳壇欄で特選だった。 宇佐市は、 戦争中に海軍航空隊の基地があり、句碑は2005(平成17)年、戦争遺跡を保 存した公園に建立された。 小林さんは、この句に命の重さと不戦への強い思 いが反映されている、とみているそうだ。
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