「神在月」の出雲(その1)2016/11/12 06:27

 10日の『夏潮』渋谷句会で、兼題の「神無月」の季題研究を発表するために、 2011年5月にBSプレミアムで放送された「新日本風土記」「出雲」を見直し た。 出雲大社では、拍手は四回打つ慣習だ、奥まで届くように。 (一般の神 社は明治に定められた「2礼2拍手1礼」だが、昭和になって縛りが外れ、出 雲大社は昔の「2礼4拍手1礼」に戻したそうだ。)

 旧暦10月10日夜7時、出雲大社の西、稲佐の浜で神迎祭が行われる。 10 月1日にそれぞれの神社を出発した八百万の神々は、海から海蛇に導かれて、 やって来る。 神籬(ひもろぎ)という榊の枝に宿った神を、神社まで白い布 で隠して(警察消防が容疑者や怪我人をブルーシートで隠すのは、その伝統だ ろうか)お連れする。 十九社(じゅうくしゃ)という出雲にしかない特別の 社が、神々の宿舎だ。 十九の扉がある。 神々は、ここで一週間、泊まり込 みで、オオクニヌシ(大国主)と縁結びの会議をする。 江戸期の浮世絵では、 男女の名前が書かれた札を結び合わせている。 仕事の縁、農作物と天候の縁 なども、結ぶ。

 この一週間、出雲の人々は、穏やかな気持で過ごす。 朝早く、浜へ海の水 を竹の筒(柄杓)に汲みに来る人がいて、新鮮な水で町の社を清める。 静け さが尊ばれ、一週間、掃除、ピアノ、神棚のある部屋ではテレビの音を控えて、 静かに暮らす。 これを「お忌(い)みさん」という。 出雲の人が、一年で 一番、神様を身近に感じる時期である。

 神話では、高天原の主神アマテラス(天照大神(あまてらすおおみかみ))の 弟のスサノオ(素戔嗚尊(すさのおのみこと))が、出雲に降り立つ。 スサノ オは八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して、天叢雲剣(あまのむらくものつ るぎ)を得、アマテラスに献じた。 スサノオの子孫が、オオクニヌシ(大国 主)で、出雲を豊かな国にする。 アマテラスは、その地を自分の子孫に継が せようとし、「国譲り」の使いを出雲に寄越す。 オオクニヌシの長男、コトシ ロヌシ(事代主)は温厚で国土献上を父に勧めるが、次男のタケミナカタ(建 御名方)は力自慢、断固戦うことを主張、アマテラスの使者と戦う。 タケミ ナカタは負け、「国譲り」をすることになるが、オオクニヌシはその代り、大き な住居を求める。 「柱は高く太く、板は広く厚く」(『日本書紀』)。 それが 出雲大社の壮大な神殿となる。

 須佐神社。 伝八岐大蛇の骨を所蔵。 スサノオは乱暴者で、神の国高天原 を追われ、出雲に降り立つ。 ここには八つの首を持つ八岐大蛇がいて、娘た ちを食う、稲田姫もまもなく差し出されると聞き、結婚を条件に大蛇退治をす る。 「八雲立つ 出雲八重垣妻籠(つまず)みに 八重垣作る その八重垣 を」 あなたを守って暮す、日本初の神と人との恋物語。 八重垣神社には、 鏡の池というパワースポットがあり、浮かべた紙にコインをのせて、早く沈む ほど、早く恋が成就するという。

 コトシロヌシ(事代主)を祀る美保神社。 12月、「諸手船(もろたぶね) 神事」があり、使者が漕ぐ船を、事代主役の宮司が迎え、平安を願う思いを伝 える。  祇園社 氷川神社には、タケミナカタ(建御名方)にまつわる神事がある。 10 月10日の奉納相撲、アマテラスの使いとの力比べに由来すると伝わる。(つづ く)