「神在月」の出雲(その2)2016/11/13 06:55

 奈良時代には、出雲は大和王権の支配下に組み込まれる。 出雲大社の平安 時代の設計図「金輪(かなわ)造営図」(千家国造館)に三本を束ねた直径が3 メートルの柱が9本あり、長さ100メートルを超える階段があった。 これほ どの巨大な神殿をつくれる出雲には、強大な勢力があったことが考えられる。

出雲大社の千家尊祐(せんげ たかまさ)宮司。 千家家は、出雲国造家(出 雲では「くにのみやつこ」を昔から「こくそう」と読み習わして来た)で84 代、天皇家につぐ古い家系、アマテラスの第二子・天穂日命(あめのほひのみ こと)の子孫と伝えられる。 (子息の千家国麿氏と高円宮家二女典子女王が 2014年10月5日出雲大社で結婚。国麿氏は出雲大社権宮司。) 神様に直接 願い事を告げられるのは宮司だけ。 世の中の平安と、天皇家の繁栄を、日々 祈り続けているという。  祝詞「八雲立つ出雲の国の青垣山内(やまうち)に 底津磐根に宮柱太く立 て 高天原に千木(ちぎ)高しにて鎮まります かけまくもかしこき天の下造 らしし 大国主の大神の大御前に 国造恐(かしこ)み恐みまおさく」。

 出雲大社では、60年に一度、遷宮が行われる。 「平成の大遷宮」が平成 20(2008)年4月から28年3月まで行われた。 平成20年4月、ご神体を 移す仮遷宮があり、本殿を修繕して、平成25(2013)年本殿に戻した。 本 殿、天井には270年前江戸期に描かれた八雲之図(七つの雲の絵、完成させな いという縁起をかつぐ)、心御柱(しんのみはしら)つまり大黒柱があり、南向 きの正面は壁になっていて、その裏に御神座が西を向いてある。 西は海の方 向、オオクニヌシの世界、常世の国がある、と考えられている。

 8月、夕日を祀る神事がある。 島根半島の西端、日御碕(ひのみさき)神 社(千家尊祐夫人の家は、ここの宮司)。 かつてアマテラスを祀る本殿があっ た島に(普段は人が入れない)、宮司が渡り、夕日に祈りを捧げる。

 佐太神社。 旧暦10月、この神社では神様のためのデザートが供される。  『雲陽記』(1717年)に、神在餅(じんざいもち)の記述がある。 搗き立て の餅に焦げ目をつけて、砂糖を入れた小豆と煮込む。 上に縁起物の鰹節をの せる。 出雲大社の方向に向けて供える。 縁結びの会議が終える頃にお供え するしきたり。 神在餅が、ぜんざいになった。

 旧暦10月17日、十九社では、去り行く神々をねぎらう感謝の祝詞が上げら れる。 「お立ち」の声とともに、社の扉を三度叩く。 神々はそれぞれの国 許へと帰る。

 11月、献穀祭。 出雲大社に、収穫された米を捧げる。 その晩、「おじゃ れもー」と、神を迎える言葉が響き、古伝新嘗祭(こでんしんじょうさい)、作 物を神に捧げ、宮司が共に食事をとる神事が執り行われる(年に70ある祀り の最も厳粛なものだそうで、中には入れず外から撮影した映像。天皇の宮中祭 祀を思わせた)。 一年間、神に仕えてきた宮司の力は、秋の日差しが傾くとと もに衰えて来る。 神と共に食事をとることで、宮司は力を取り戻す。 そし て神聖な石を噛む、歯を固めることは長寿につながる。 榊の小枝を手に、神 に向って舞う。 神への感謝、勤労の約束をこめた歌「皇神(すめらみ)をよ き日に祭りし明日よりはあけの衣をけ衣にせん」、実りに感謝するこの祭が終わ れば、明日からは普段着に戻り、懸命に働こう。

 たたら製鉄。 奥出雲の木炭と、この地の良質の砂鉄。 三日三晩、燃やし 続けると、玉鋼(たまはがね)に生まれ変わる。 職人、木原明さん。 炎の 色が山吹色になるのを見極めると、10トンの砂鉄から1トンの鉧(けら)が取 れる。 八岐大蛇伝説は、古代の権力者が、斐伊川上流にいた鋼づくりの技術 を持つ人々を服従させた歴史かもしれない(ジブリのアニメ映画、宮崎駿監督 の『もののけ姫』は、これを扱ったのだろう)。 スサノオが退治した大蛇から 取り出したのは剣、天皇家を守る三種の神器の一つ天叢雲剣(あまのむらくも のつるぎ)として、後の世に伝えられていくことになる。