「神在月」の出雲(その4)2016/11/15 06:28

 2015年5月放送の『ブラタモリ』「出雲」「出雲はなぜ日本有数の観光地にな ったか?」では、意外な事実を知った。 出雲大社は、江戸時代まで杵築大社 (きづきのおおやしろ)という名で呼ばれ、けして全国的に知られるような神 社でなかったというのだ。 今では年間800万人が訪れるという出雲が、にぎ やかになったのは250年前頃の江戸時代後半からのだそうだ。 60年に一度、 遷宮が行われ、修繕されるが、今の本殿は延享元(1744)年の遷宮で建てられ た。

 出雲の町の屋根瓦には、大国様の像が見られる。 玉を持つのは大国様、打 出の小槌を持ち米俵に立つのは大黒様だという。 国と黒、大国様と大黒様の 違いを、知らなかった。 農業神である主神の大国主命(大国様)と、仏教の 大黒天(大黒様)とを習合して、一般に農作・福徳・縁結びの神としての出雲 大社の信仰を広めたのには、出雲御師(おし)の存在があった。

 蕎麦屋の青木屋に、御師の布教道具なるものがあった。 板木が、「大切」「大 切」と書かれた段ボールのカートンに、三箱もあった。 タモリが、長年やっ ている職人になりきり、湿し十年とか言いながら、その板木で摺ってみる。 「蕎 麦預かり」券、蕎麦のクーポン券なのだった。 裏には、その年の大小暦、申 (さる)年で猿が大の月と小の月を書いた笹竹をかついでいる絵がある。 参 拝客は、それを持って蕎麦を食べに来たのだろう。

 商人街の立派な屋敷の藤間(とうま)家は、廻船問屋だったそうで、18代目 の藤間亨さんが、古文書を見せてくれる。 この史料で、「杵築の富籤(くじ)」 の実態がわかったという。 売上の三割を大社に納める。 松江藩は財政が厳 しく、富籤を許したのだという。 3月と8月に、祭礼が7日間あり、8日目 に富籤が行われ、9日目から換金が行われる。 その間、お祭り騒ぎが続くこ とになる。 出雲や松江藩の人は富籤は買えず、外から来た参拝客だけが買え る。 一回の富籤で、今の金額で22億円を売り上げたとか。 参拝客は、ず っと出雲の御師の家(宿坊)に逗留することになるから、お金を落す。 一大 観光産業のシステムである。

 明治45(1912)年に鉄道、大社線が通じ、大正13(1924)年に大社駅が出 来る。 商店街が二か所に分かれてあったので、出雲大社から2・5キロ離れ た所に駅がつくられ、メインストリートが整備された。 この駅舎は重要文化 財、(駅舎の重要文化財は、他に二つ、赤煉瓦の東京駅と、門司港駅)。 昭和 40(1965)年代には100万人が利用したが、平成2(1990)年に大社線は廃止 された。

 10年前には、神門通りはシャッター通りのようになり、3分の2に落ち込ん だ。 8年前の平成20(2008)年、「平成の大遷宮」に合わせ、「縁結び」を前 面に出して、スイーツの店を展開、若い女性を呼び込んだのが成功し、今や年 間800万人の人が出雲を訪れている。

 出雲では、遷宮のたびに、遷宮をきっかけに、町がもう一度、よみがえって いるのだ。 それは伊勢神宮でも同じで、近年のおかげ横丁の例を見ればわか る。