是枝裕和監督の『映画を撮りながら考えたこと』2016/11/18 06:12

 是枝裕和監督の『映画を撮りながら考えたこと』(ミシマ社)を読みたいと思 って、図書館に予約しておいたのだが、だいぶ時間が経って手元に来たら、ほ かにやることがあって、なかなか読めない。 ようやく返却の期日になって、 ざっと読むことになった。 去年の6月、『海街(うみまち)diary』を観た。  11月12日になってブログ「鎌倉の四季を描いた映画『海街diary』」に、「是 枝裕和監督は、女優たちの美しさと、すずがそこでの生活に馴染んでいく一年 間の、鎌倉の四季の美しさを撮った。」と書いた。 さらにプログラムから、是 枝裕和監督の言葉、「この映画の中心にあるのは、街とそこに日々積み重なって いく時間であるのではないか」「街は、一見、昔と変わらずそこにある。やがて 映画に登場した人がみな死んでしまったとしても、又誰かがやって来て、この 街で人生の一時を過ごす。人間の営みなど浜辺の一粒の砂のように小さいもの でしかないとでもいうように。」を引いた。 『映画を撮りながら考えたこと』 の『海街diary』にふれた所を読むと、まさにそのことが書いてあった。

 広瀬すずとオーディションで会った時、三姉妹の腹違いの妹・すずがそこに いると思ったという。 台本でなく、口移しで情況を説明し、その場で周りが 語るセリフに合わせて、広瀬すずにしゃべらせた。 次女の長澤まさみには少 しエロスをと、靴下を脱いでもらったり、三女の夏帆には夢中で物を食べる、 ほんわかとしたところを出してもらった。 葬式と法事が三回出て来る、それ が暗くならないようにして、「街は、一見、昔と変わらずそこにある。」「又誰か がやって来て、この街で人生の一時を過ごす。」ことを描いた。

 海外の映画祭で高い評価を得ている是枝裕和監督は、1962年生れ、早大卒、 テレビマンユニオンでドキュメンタリー番組の演出をし、1995年『幻の光』で 映画デビュー。 2004年『誰も知らない』、2013年『そして父になる』、2014 年制作者集団「分福」を立ち上げた。 西川美和(『蛇イチゴ』『ディア・ドク ター』『夢売るふたり』『永い言い訳』)や砂田麻美(まみ)(『エンディングノー ト』)を監督助手に使って、監督に育てている。 西川美和監督は「松たか子の 『夢売るふたり』」<等々力短信 第1039号 2012.9.25.>に、砂田麻美監督 は「『エンディングノート』の砂田さん父娘<小人閑居日記 2011. 11. 23.>と 「娘監督はそれも撮り、カットせず、音だけにもした」<小人閑居日記 2011. 11. 24.>に書いていた。

 是枝裕和監督は『映画を撮りながら考えたこと』で、1950年代の東宝映画は、 美術や照明や撮影の技術力が圧倒的に高い、と書いている。 成瀬巳喜男監督 (『浮雲』『めし』『乱れる』『晩菊』)は、カメラを対象に対してひねっている。  小津安二郎監督(『東京物語』『晩春』『麦秋』『秋刀魚の味』)は、正面から撮る。 自分は死んだ人でなく「遺(のこ)された人」を描いている、日本には「ご 先祖様に顔向けができない」という意識があるが、「(日本の)死者は(西洋の) 神の代り」なのではないか説だ、と言う。 自分の本質は、映画のつくり手で はなく、テレビ作家(テレビのDNAを持った)で、「かけがえないけど、やっ かい」が「僕のホームドラマ」だと書いている。  2008年『歩いても歩いて も』は阿部寛、樹木希林だが、2016年の『海よりもまだ青く』も阿部寛、樹木 希林で撮った。