『超辛口先生の“赤ペン”俳句教室』 ― 2016/11/24 06:16
「鳴かず飛ばず」が続く俳句に、なんとか風穴を開けられぬか。 初心に帰 って一から出直す気になって、夏井いつき著『超辛口先生の“赤ペン”俳句教 室』(朝日出版社)を読んでみよう。
「俳句では、説明の言葉は嫌われます。説明するのでなく[描写]を意識す ることが、句作の際の重要なコツです。」
サッカー長友佑都選手の“アモーレ”平愛梨(たいら あいり)の句、<群青 の下町彩る大花火>。 「群青の下町」という表現は、美しい映像なのだが、 惜しかったのは「彩る」が「大花火」を説明する言葉になっていることだ、と 言う。 【添削後】<群青の下町大花火ひらく>。 これは「句またがり」と いう技、「群青の下町/大花火ひらく」と中七の途中に意味の切れ目がくる型だ。 「群青の下町」でカットが切り替わり、「大花火ひらく」と眼前の光景を描写し て、映像の言葉に変えれば、全体が映像化される。
「たった17音しかない俳句にとって、「切れ」は最重要な技法です。」
<日常を忘るる旅は滝の音 高橋恵子>。 【添削後】<日常を忘るる旅や 滝の音>。 切れ字「や」は、すぐ上の言葉をつよく詠嘆する働きを持ってい ると同時に、ここに「切れ」を生じさせ、カットを切り替える働きも持ってい る。 「日常を忘るる旅」の光景から、「滝」の映像に切り替わることで「音」 も鮮やかに響き始める。 季語を際立てるためにも、重要な働きをもっている のが「や」の一字、詠嘆や強調の意味を添えると同時に、一句の映像を切り替 える、つまりツーカットの映像にすることができる切れ字「や」は、実作上の 心強い味方なのだ。
「どんな表現が[類想類句]になるのか。 俳句を作るとは、そのような[類 想類句]を避け、オリジナリティのある発想や言葉を見つけ出す、言葉のパズ ルのような作業なのです。」
テレビの番組でも、いつも、「舞う」「燃える」「踊る」は凡人の思いつく陳腐 な表現だと言っている。 沢山の人に言い古されてきた手垢のついた表現を避 け、誰もが思いつく発想の吹き溜まりを抜け出すためには、どうすればよいか。 <五月晴白い絨毯敷き終わる 石井一久(元投手)> <夏めく尾瀬白き絨毯 夢心地 前川泰之(俳優)> 「白い(き)絨毯」は手垢のついた表現、「夢 心地」は凡人的発想の言葉。 【添削後】<晴天や五月の白き花敷きつめ> < 夏めく尾瀬ましろき夢のごとき花>
「字余り」について。
<東京の花冷え紛らすタワーの火 高橋茂雄(お 笑い芸人・サバンナ)>。 作者の思いは、詩になる要素を充分持っているが、 中七「紛らす」が説明的な言葉であることと、4音なので「字余り」になって いることが問題点だ。 「火」は、燃えているのか? 【添削後】<東京の花 冷えほどくタワーの灯>。 「ほどく」という言葉のやわらかな語感が「花冷 え」という季語をさらに美しく感じさせる。
<富士の下(もと)押し寄せる波芝桜 宮崎香蓮(女優・早稲田大学在学 中)> 「芝桜」を「押し寄せる波」と表現した感覚はいい。 上五の「調べ」 を工夫することで、「押し寄せる」という複合動詞の勢いをさらに印象づけるこ とも可能。 上五を[敢えて字余りにすることで、「調べ」を獲得する]という テクニックを試してみよう。 【添削後】<富士へ富士へ押し寄せる波芝桜>。
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