「マードック先生の日本歴史」2016/12/14 06:29

つづいて「マードック先生の日本歴史」(明治44年3月16日・17日「東京 朝日新聞」)を読んでみよう。 マードック先生の手配で、日ならずして漱石の 手元に約700頁の重い書物が届いた。 1910(明治43)年5月(54歳)刊行 の『日本歴史』第2巻(中世以前の歴史)である。 漱石は、先生が読んでく れといった緒言を通覧して、次のように始める。

維新の革命と同時に生まれた私から見ると、明治の歴史は私の歴史である。  私自身が天然自然に今日まできたように、明治の歴史もまた尋常に今日まで40 何年を重ねてきたとしか思われない。 海軍が進歩した、陸軍が強大になった、 工業が発達した、学問が隆盛になったとは思うけれど、それを認め、こうある べきだと考えるだけで、いまだかって「如何にして」とか「何故に」とか不審 に思った試しがない。 ちょうど葉裏に隠れる虫が鳥の目をくらますために青 くなるのと同じで、虫自身は青くなろうと赤くなろうと、そんなことに頓着す べき所以(いわれ)はない。 それを不思議がるのは当の虫ではなく、虫の研 究者、動物学者である。 マードック先生の我ら日本人に対する態度は、あた かも動物学者の突然青く変化した虫に対すると同様の驚嘆である。 維新前は ほとんど欧州の14世紀ごろの文化にしか達しなかった国民が、急に過去50年 間に、20世紀の西洋と比較すべき程度に発展したのを不思議がるのである。  わずか5隻のペリー艦隊の前に為す術(なすすべ)を知らなかった我等が、日 本海の海戦でトラファルガー以来の勝利を得たのに、心を躍らすのである。

 先生は、この驚嘆の念より出立して、好奇心に移り、それからまた研究心に 落ち付いて、この大部の著作を公にするに至ったらしい。 日本の歴史全部の うちで、もっとも先生の心を刺戟したものは、日本人がどのように西洋と接触 し始めて、またその影響がどう働いて、黒船着後に至って全局面の激変を引き 起こしたかという点にあったものと見える。 それを一通り調べてもまだ足り ないところがあるので、やっぱり上代から始めて人文発展の流れを下ってみな いと、この突如の勃興の真髄が納得できないという意味から、上代から足利氏 に至るまでを第1巻として発表されたものと思われる。

 歴史は過去を振り返った時、始めて生まれるものである。 悲しいかな、今 の我らは刻々に押し流されて、瞬時もひと所に低回して、我らが歩んで来た道 を顧みる暇を持たない。 我らの過去は存在せざる過去のごとくに、未来のた めに蹂躙せられつつある。 我らは歴史を持たない成り上がりもののごとくに、 ただ前へ前へと押し流されて行く。

我らは、焦りに焦って、汗を流したり、息を切らしたりしている。 恐るべ き神経衰弱は、ペストよりも劇しい病毒を社会に植えつけつつある。 我らは 渾身の気力を挙げて、我らの過去を破壊しつつ、斃(たお)れるまで前進する のである。 しかも我らが斃れる時、我らの煙突が西洋の煙突のごとく盛んに 煙を吐き、我らの汽車が西洋の汽車のごとく広い鉄軌を走り、我らの資本が公 債となって西洋に流通し、我らの研究と発明と精神事業が西洋に迎えられるか 否かは、どう己惚(うぬぼ)れても大いなる疑問である。 マードック先生が 我らの現在に驚嘆して我らの過去を研究されていると同時に、一方、我らは我 らの現在から刻々に追い捲(まく)られて、我らの未来をこのように悲観して いる。 私は我らの過去に対する先生の著書を紹介するついでに、我らの運命 に関しての未来観をも一言、先生に告げて置きたいと思う。