スミスと福沢の「個人の独立と国の独立」2016/12/20 06:29

 続いて坂本達哉教授は、「スミスの「公平な観察者(impartial spectator)」 と福沢の「独立自尊」の危機意識」の共通性に触れる。

 ・スミスの「共感⇒公平な観察者」論と「道徳感情の腐敗」「世論」「国民的 偏見(ナショナリズム)」を批判する「良心の自律」。

 ・日本の封建的精神風土とたたかう福沢の「人間交際⇒個人の独立」論。

 「政府一新の時より、政府は依然たる専制の政府、人民は依然たる無気無力 の愚民のみ。/一国の文明は独り政府の力を以て進むべきものに非ざるなり。」 (『学問のすゝめ』第四編「学者の職分を論ず」)

 坂本教授は次に、「スミスと福沢における個人の独立と国の独立」を論ずる。

 ・スミスの「上級の愼慮(superior prudence)」論⇒日常生活に埋没する大 衆とは異なる、エリート指導者の公共精神論(古代共和主義、ストア主義の影)。  当時のイギリス社会を念頭にして、エリートがいなければならないとした。   「偉大な将軍、偉大な政治家、偉大な立法者の愼慮」「この上級の愼慮は、最高 度の完成に達した場合は、すべての知的で道徳的な徳の完全性を思わせる。そ れは最善の心情と結合した最善の頭脳である。」(『道徳感情論』岩波文庫、下、 103-104頁)

 ・福沢の「文明化とは私智・私徳から公智・公徳への進歩」論⇒文明化の原 動力である国民各層の「聡明叡智」化を通じての国の独立論。

 ・スミスの「愛国心(ナショナリズム)」批判。

 「国民的偏見というくだらない原理は、しばしば祖国への愛という高貴な原 理にもとづいているのである。」(『道徳感情論』下、132-133頁)) スミスは イギリスの近代国家体制を前提として、文明諸国間の政治的・経済的対立(重 商主義的対立)を背景とする国民的偏見が、真の祖国愛を歪めている現実を批 判。

 ・福沢の「一身独立=一国独立」「文明の目的=自国の独立」論。

 「外国に対して我が国を守らんには、自由独立の気風を全国に充満せしめ、 国中の人々貴賤上下の別なく、その国を自分の身の上に引き受け、智者も愚者 も、目くらも目あきも、各その国人たるの分を尽さざるべからず。」(『学問のすゝ め』第三編「一身独立して一国独立すること」)。

 「今の日本国人を文明に進るは、この国の独立を保たんがためのみ。故に、 国の独立は目的なり、国民の文明はこの目的に達するの術なり。」(『文明論之概 略』第十章「自国の独立を論ず」)。

 福沢は日本の近代国家体制が未確立な現実の中で、国民一人ひとりの文明化 =精神的独立を国の独立の根底とする論理を展開した。

コメント

_ とんこう ― 2016/12/20 07:00

アダムスミスの国富論は高校のときに読まされました。
それも政治経済の授業ではなく倫理社会の授業でです。

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