清家篤塾長の年頭挨拶「公智」2017/01/13 06:34

 10日は、第182回福澤先生誕生記念会で三田に行き、高らかに塾歌を歌って きた。 清家篤塾長の年頭挨拶を聴く。 私なりの理解と解釈で書いてみる。

 世界は大きな変化、激動の時代を迎えているが、日本は政治が安定し経済も 一応順調だが、少子高齢化が進み、団塊の世代が75歳となる2025年を目途に 構造改革が必要になる。 慶應義塾の2017年は、医学部創立100年、体育会 125年、塾長改選期で、5月清家塾長は自ら作った規定によって退任するそう だ。 秋からは懸案の日吉記念館の工事も始まる。

 さまざまな判断を求められる厳しい状況に対しては、知的強靭さが必要。 福 沢先生は、公智(物事の軽重大小を正しく判断し、優先順位を決める)が一番 大事だとした。 物事はすべて相対的なものであると、『文明論之概略』の冒頭 「議論の本位を定る事」で述べた。 「背に腹は替えられない」、人間の身体で、 腹の部分は背中よりも大切だから、背中に傷を受けても、腹の部分は無難に守 らなければならない。 鶴はドジョウよりも大きくて貴いので、鶴の餌にドジ ョウを用いても差し支えないというようなものだ。 日本の封建時代の藩を無 くして今日の制度に改めたのは、政府が比較して、日本国全体は重く、諸藩は 軽いと考えたから、大名武士の禄を奪ったのだ。 封建時代と近代を比べて、 近代が相対的によいから選ぶ。 封建時代にも、評価すべきことがあった。 『国 会の前途』では、百姓が入れ札で庄屋を選ぶなど、自治の余地が残されていて、 近代化の素地があったことを述べている。

 『福翁百話』(百)「人事に絶対の美なし」では、「今の世界の人類は開闢以来 尚お少(わか)くして、文明門の初歩、次第に前進する者にこそあれば、その 経営中固(もと)より絶対の美を見るべからず」と。 「学問に凝る勿(なか) れ」(明治23年1月27日慶應義塾大学部始業式での演説、『全集』12巻361 頁)では、「老生は学を好むこと甚だしく、畢生の快楽は唯学問に在るのみなれ ども、之を好むと同時に学問に対して重きを置かず、唯人生の一芸として視る のみ。」

 何かに囚われると、他のものが見えなくなる。 プラスとマイナスを考え、 少しでも良い方を選ぶのが「公智」。 福沢先生の考え方は、「熱狂」とはほど 遠い。(つづく)