“青い目の志士”アーネスト・サトウ2017/01/19 06:23

12月9日に、昔書いたアーネスト・サトウの秘密を出したところだった。

http://kbaba.asablo.jp/blog/2016/12/09/

 元日の夜、BSプレミアム放映の、時空超越ドキュメンタリードラマ『江戸 城無血開城』は、見応えのある番組だった。 西郷隆盛と勝海舟によって実現 された江戸城無血開城の裏には、イギリス公使館の25歳の一介の通訳官、“青 い目の志士”アーネスト・サトウの活躍があったことを描いた。 アーネスト・ サトウを満島真之介、西郷隆盛は佐藤二朗、勝海舟を高橋和也が演じた。 脚 本・演出は佐野達也。 来年の大河ドラマは「西郷隆盛」だそうだが、この視 点、明治維新への西洋列強の影響を盛り込めれば、従来にない面白いものにな るだろう。

 アーネスト・サトウは、慶應2(1866)年1月30日、ジャパンタイムズに 無署名で投稿し(三回にわたって掲載)、こう主張した。 徳川将軍は国の支配 者を名乗っているが、それは偽りで、国土の半分位しか治めていない、そんな 徳川とだけ条約を結んでいるのはやめた方がいい。 真の日本のトップはミカ ド(天皇)である。 だがミカドは、当事者として自分自身で条約を実行する ことが出来ない。 日本は本当の支配者の下に、一つにならなければならない、 と。 この呼びかけを、志士たちが読めば、大英帝国の後ろ盾を感じさせて、 やるぞという気になる。 それは翻訳され、英国士官サトウ著「英国策論」と して、西日本中心に広まり、薩摩藩では藩主以下が読み、岩倉文書にも入って いる。 江戸や京都で、ベストセラーとなった。 そのメッセージはきちんと 広がっていった。

 その半年前、慶應元(1865)年6月、ロンドンで薩摩の寺島宗則がイギリス 政府に日本の情勢を訴え、諸大名の連合国家の方向への支援を要請していた。  その後に出されたラッセル外相の訓令は、サトウの目指すものと一致していて、 ひと月後、サトウはジャパンタイムズに投稿した。

 アーネスト・サトウの研究者、イアン・ラックストン九州工業大学教授は、 英国公文書館にあるアーネスト・サトウ日記45冊を23年間で検証した。 幕 末の時期だけで500頁あり、日本語自由自在のサトウは、綺羅星のような重要 人物と交流している。 薩摩藩では小松帯刀、西郷隆盛、大久保利通(一蔵)、 長州藩では桂小五郎(木戸孝允)、伊藤博文、そして佐幕派も登場する。 西郷 は賢い、大久保は議会制度に興味を示し、桂は穏やかで丁寧だが政情は熱く語 り、伊藤はヨーロッパ風の食事を用意してくれた、などとある。 公使パーク スの悪口は、ローマ字で“jibun bakari riko to omotte iru”などと書いている。  ただ、江戸総攻撃が迫る3か月間、なぜか真っ白な、空白の時期がある。 サ トウはその間、はたして何をしていたのだろうか? (つづく)