サトウの『英和口語辞典』2017/01/22 07:06

 時空超越ドキュメンタリードラマ『江戸城無血開城』の中で、アーネスト・ サトウの作った『英和口語辞典』の話題が出た。 三省堂へ行き、そこにある サトウの『英和口語辞典』について、山本康一辞書出版部長、西垣浩二外国語 辞書編集長、同時通訳者の長井鞠子さんの話を聞いた。 サトウは来日3年目 の22歳の時から、この辞書を作り始め、第4版まで、54年間も、ライフワー クとして、作り続けたのだそうだ。

 どんな風に、英語を日本語で表現しているか。 fool…たわけ、抜け作、と んちきめ。 love story…人情噺。 emergency…いざ、鎌倉。 cheap…安か ろう、悪かろう。 下足番…man in charge of Footgear。

 こうした表現は、町を歩きまわらないと、出合わないだろう、と皆さんは言 う。 アーネスト・サトウは、高輪の泉岳寺の真ん前、今、うどん屋のあるあ たりに住んでいた。 町中に暮し、そこは薩摩の下屋敷や三田の藩邸上屋敷に も近く、赤坂の勝海舟邸もそう遠くはない。

 ここで思い出したのが、もう10年近く前になるが、2007年12月1日に横 浜市開港記念会館へ講演会「開港150周年のプレリュード 幕末維新の英外交 官、アーネスト・サトウと歴史家・萩原延壽」に行き、林望さん(作家・書誌 学者)の「旧蔵書から見たサトウと日本」を聴いたことだった。 その講演会 のことは、この<小人閑居日記>の12月8日から12日まで、アーネスト・サ トウと萩原延壽、萩原延壽史学の成り立ち、萩原延壽さんの「評伝」、アーネス ト・サトウの日本語勉強、サトウの日本語文献収集、として書いている。 最 後の二日分を今日、明日で再録する。

アーネスト・サトウの日本語勉強<小人閑居日記 2007. 12.11.>

 「旧蔵書から見たサトウと日本」の林望さんは、風呂敷包を持って登場して 「私はサトウの大ファンです」と言った。 林望さんの専門は書誌学で、『イギ リスはおいしい』を書くことになったのは、ケンブリッジ大学に所蔵されてい る日本語の文献、約1万冊を調査し、目録を編纂・出版(イギリス人ピーター・ コーニツキさんとの共著)するために、イギリスに滞在していたからだった。

その1万冊は、ケンブリッジ大学ではアストン文庫と呼ばれている。 アス トンもアーネスト・サトウとほぼ同じ時期の外交官で、その文庫を実際に調べ てみると、ほとんどがサトウの集めたもので、それをアストンに貸したという ことがわかってきた。 さらに文庫のいくつかのものから、サトウが外交官で ありながら学究肌の人で、大変な碩学、すばらしい文化史家、そして親日家で あることも読み取れた。

 アーネスト・サトウは明治維新の6年も前の文久2(1862)年、19歳の時、 初めて通訳候補生として来日、日本語を教える先生も、辞書もない中で、2年 間くらいで日本語をマスターしてしまう。 アストン文庫には慶應元(1865) 年から明治5(1872)年までのサトウ自筆の勉強ノートがある(目録の第126 番~129番)。 幕末維新の動乱の真っ只中、まさにサトウは幕府との外交交渉 に明け暮れていた時期だ。 その激務を終えて、帰宅後、おそらく深夜までコ ツコツと一人で勉強していたのは、『国史略』『日本外史』『孟子』『江戸繁昌記』 などだった。 中国語が出来たわけでないので、「師ノタマワク」という漢文で 読んでいた。 在京の時は、ほとんど毎日、単語ノートを作って注釈を書いて いる、その勉強ノートを調査して、林さんは頭の下がる思いがしたという。