サトウと同僚の見た「ええじゃないか」 ― 2017/01/31 06:34
<小人閑居日記 2013. 5. 25.>「犬の伊勢参り」に、柳家さん喬の落語「鴻 池の犬」から始めて、こんなことを書いていた。 「おかげまいりの大騒ぎを盛り上げた一つに、天からお札が降ってくるとい う奇瑞がある。 仁科邦男さんの『犬の伊勢参り』(平凡社新書)は、その仕掛 けにも言及しているそうだ。 高い山や木に登り、葦(あし)でお札をはさみ、 下の方に団子や油揚げを串刺しにしておくと、カラスやトンビがくわえる。 食 べれば、お札が下に落ちるというわけだ。 「お蔭参り」や「ええじゃないか」の大衆的狂乱は、倒幕維新の成就に影響 を与えた。 大隈重信の「誰かの上手に巧(たくら)んだ芸当」という見方も あり、大河ドラマ『八重の桜』では踊り歩きの後ろで西郷隆盛(吉川晃司)が 派手な着物を着ていた。 私はふと、「アベノミクス」景気にも同様の仕掛け人 がいるのではと、皮肉な連想してしまった。」
萩原延壽さんの『遠い崖』「6 大政奉還」に、アーネスト・サトウも大坂の 町で「ええじゃないか」を見た話が出て来る。 慶應3年11月13日(1867 年12月13日)のサトウの日記、「午後六時半、安治川に通じる別の河口を通 って、大坂の外国人居留地の向い側に到着。『いじゃないか(i ja nai ka ええ じゃないか)、いじゃないか、いじゃないか』と歌い、踊りくるう群衆の中を大 いそぎで通り抜けようとする。家という家は、色とりどりの餅、みかん、小さ な袋、藁、花などで飾られている。着物はたいてい赤いちりめんだが、なかに は青や紫のものもある。大勢のひとが、頭の上に赤い提灯をかざしながら踊っ ている。これは、最近伊勢の両神(天照大神と豊受大神)の名前をしるした御 札(おふだ)が大量に降ったお祝いだと言い囃されていた。」
この大坂滞在中、サトウは何度も「ええじゃないか」と踊りくるう人々の群 に出逢った。 ミットフォードも、このサトウ日記の記述の10日後にパーク スにおくった報告の中で、その騒ぎの裏をこう洞察している。 「そこには政 治的な意味がこめられていないとはいえない。」 「なんでも人類の創始者であ る伊勢の両神が現在の政情に怒りを発し、古いすみかである江戸を捨てて、途 中その名前をしるした御札を降らすという奇蹟を演じながら、東海道をすすみ、 ついにこの大坂のあてりまできて、御札を降らすことをやめた、そこでこの奇 瑞を祝うというのである。」 「いくつかの藩にそそのかされて、神官たちがこ の奇蹟を演出したといわれている。その狙いは、大君の都(江戸)にまつわる 盛徳の一部を剥奪することによって、民衆の心の中にある大君の都の地位を下 落させることである。江戸の存在理由に加えられた打撃は、とりもなおさず大 君の権威にたいする挑戦である。大君の敵は、政治と宗教の中心地としての大 君の都の意味を、根底から切りくずそうと断固決意しているかに見える。」 「多 額の出費はそれぞれの町が負担して、祭りはつづけられた。ひとびとは興奮と 酒にわれを忘れているが、秩序は保たれている。サトウ氏とわたしは、昼とな く夜となく、外出するたびにそういう群衆に出逢ったが、一度として不愉快な 目に会ったことがない。もちろん、この祭りのひとびとの中にさむらいの姿は 見かけない。」
小人閑居日記 2017年1月 INDEX ― 2017/01/31 07:50
7274 林家正蔵の「鰍沢」前半<小人閑居日記 2017.1.2.>
7275 林家正蔵の「鰍沢」後半<小人閑居日記 2017.1.3.>
7276 三遊亭歌武蔵の「だるま」<小人閑居日記 2017.1.4.>
7277 柳家権太楼の「睨み返し」前半<小人閑居日記 2017.1.5.>
7278 柳家権太楼の「睨み返し」後半<小人閑居日記 2017.1.6.>
7279 防衛大学校と慶應義塾、初代槇智雄校長<小人閑居日記 2017.1.7.>
7280 防衛大学校校長としての槇智雄<小人閑居日記 2017.1.8.>
7281 槇智雄さんの小泉信三さん追悼文<小人閑居日記 2017.1.9.>
7282 昆野和七さんの小泉信三さん追悼文<小人閑居日記 2017.1.10.>
7283 今年も「みちのく初桜」(啓翁桜)<小人閑居日記 2017.1.11.>
7284 漱石も垂涎の「料理と酒」番組<小人閑居日記 2017.1.12.>
7285 清家篤塾長の年頭挨拶「公智」<小人閑居日記 2017.1.13.>
7286 激動の時代を実学の精神で<小人閑居日記 2017.1.14.>
7287 幕末の水戸と佐倉<小人閑居日記 2017.1.15.>
7288 羊遊斎の雪華文蒔絵櫛<小人閑居日記 2017.1.16.>
7289 「初富士」と「寒鴉」の句会<小人閑居日記 2017.1.17.>
7290 本井英主宰の季題研究【初富士】<小人閑居日記 2017.1.18.>
7291 “青い目の志士”アーネスト・サトウ<小人閑居日記 2017.1.19.>
7292 江戸の町を戦火から守るミッション<小人閑居日記 2017.1.20.>
7293 サトウのお蔭か?「江戸城無血開城」<小人閑居日記 2017.1.21.>
7294 サトウの『英和口語辞典』<小人閑居日記 2017.1.22.>
7295 サトウの日本語文献収集<小人閑居日記 2017.1.23.>
7296 松木弘安(寺島宗則)提案と『英国策論』<小人閑居日記 2017.1.24.>
7297 「ばあさんの理屈」「十段目は鉄砲芝居」<小人閑居日記 2017.1.25.>
短信 7298 極北の人情噺<等々力短信 第1091号 2017.1.25.>
7299 パークスが明治維新で演じた役割<小人閑居日記 2017.1.26.>
7300 勝海舟、パークスの新政府への影響力を利用<小人閑居日記 2017.1.27.>
7301 『遠い崖』はサトウの関与に冷ややか<小人閑居日記 2017.1.28.>
7302 萩原延壽説は「パークスの圧力」なし<小人閑居日記 2017.1.29.>
7303 サトウの泉岳寺前の家と生活<小人閑居日記 2017.1.30.>
7304 サトウと同僚の見た「ええじゃないか」<小人閑居日記 2017.1.31.>
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