中勘助57歳の結婚と、同日の兄の死2017/02/14 06:35

 菊野美恵子さんは「いま一度の悲劇、そして」にこう書く。 「この勘助の 結婚と、同日の兄金一の死について、筆者は以前に書いたことがあるので(『新 潮』2001年7月号)、ここで詳しく繰り返すことはしないでおこうと思う。」 こ の『新潮』の文章については、いずれ触れるけれど、菊野さんはつづけて、重 大な秘密の概略を明かしている。

 「金一の思考能力は当時思われていたよりずっと残されていたのではないだ ろうか。金一は自分の世話をするために、勘助が結婚によって「身内」を作ろ うとしている事態を十分理解していたのであろう。」

 「しかし、金一はそのような急ごしらえの身内に世話されることは受け入れ がたかったのであろう。勘助の結婚式の始まる数時間前、自室で縊死したので ある。使ったものは自分でテグスを丹念に編んだものであったというから、発 作的なものではない。作り上げるには何日もかかるであろう精密に編まれたも のであった。」

 「生涯の趣味が釣りであった金一は、テグスがどんな強度を持っているかは もちろん知り抜いていたはずである。しかも、そのテグスで編んだ紐の、ちょ うど両方の頸動脈に当たるところには浮きが編み込まれていた。絶対に失敗し ないという、かつての医学者の金一の強い意志が感じられて怖ろしい。その浮 きは既製のものでは満足しない金一が、末子(亡妻)と勘助にさんざん苦労を かけて作らせたものである。二階でひとりそれを編んでいた金一の心中を思う と、胸塞がれる思いがする。勘助の結婚式の同日ということは、金一のなかで どのような意味があったのであろうか。」

 「かくして、勘助のものごころついて以来の兄金一との確執は、すさまじい 形で終焉した。」

「金一がこのような死を迎えたことはまわりには伏せられた。」

 中勘助は、結婚式の延期を駆けつけた仲人役の姪夫婦に希望したが、説得さ れ喪を秘してすませてしまうことに決心がついたのは、定刻25分前であった という。 固い表情の57歳の新郎や、茫然としたような親族の写った結婚写 真が残されている。 当然いるはずの野村家(末子の実家)の何人かはそこに いない。 赤坂の家で金一の亡骸を守って留守番をしていたのである。 その 夕方、皆をさらに茫然とさせることがあった。

 「昨日ご隠居さん(金一)が註文なすった、本日のお祝いでございます!」 と、何も知らない鰻屋のお兄さんの威勢のよい掛け声とともに、特上の鰻二膳 が届けられたのだそうだ。

 私はずっと、当時の中勘助の兄金一の病気の状態は、もっとひどいものだと 思っていた。 釣りに出かけたり、鰻屋に行って鰻の注文をしたりできるよう な状態だったのである。

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