『花森安治の仕事』展を見て2017/02/20 06:30

 16日、世田谷美術館で『花森安治の仕事 デザインする手、編集長の眼』展 を見てきた。(4月9日まで、月曜休館)

http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html

 まず第一に、印象に残ったのは、戦時下の花森安治の報道技術研究会や大政 翼賛会宣伝部での「デザインする手」、「欲しがりません、勝つまでは」「買はな いで、すませる工夫」などポスターのレタリングやレイアウトが、戦後の『暮 しの手帖』での「デザインする手」の仕事に共通しているのが、明らかなこと だ。 だからこそ余計に、後年の『戦争中の暮しの記録』や『見よ ぼくらの一 銭(センは金偏がない)五厘の旗』といった仕事には、戦時下の仕事に対する 強烈な後悔と反省の思いが、その底にあったのだろう、と思った。

 もう二度とこんな恐ろしい戦争をしないような世の中にしていくための本を 作りたい、ひとりひとりが自分の暮しを大切にし、あったかい家庭があったな ら、戦争にならなかったと思うと言う花森を編集長に迎え、女の人に役立つ雑 誌、暮しが少しでも楽しく、豊かな気分になる雑誌を作りたい大橋鎭子は、『暮 しの手帖』を創刊した。

一銭五厘の旗は、「庶民」のつぎはぎの旗だ。 一銭五厘は戦時中の葉書の値 段、それで召集された。 戦後の民主主義の今、間違っていること、嫌なこと は、葉書に書いて、為政者に投書しようというのだ。 大臣などに宛てた七円 の葉書が、たくさん展示してあった。

 次に挙げなければならないのは、初期の『暮しの手帖』の表紙絵の美しさで ある。 原画が、娘の土井藍生(あおい)さんから世田谷美術館に寄贈された のだそうだ。 実に丁寧に、心を込めて、描いた絵だ。 手を抜くということ がない人だったのだろう。 晩年のお孫さんへの絵手紙でも、顔の絵を「おじ いさん」「おばあさん」の所に描いているのだが、どの箇所にもちゃんと顔の絵 が描かれている。 私は「第2期」「第3期」の、写真や抽象的な絵や女の顔 の絵よりも、初期の表紙絵が断然好きだ。

 昭和21(1946)年銀座西8丁目にビルを借り、出版社の名前を「衣裳研究 所」として始まる。 写真好きだったという花森安治が、1950年代に撮影した 写真に、懐かしい風景があった。 銀座通りにテント掛けの露店が並ぶのや、 森永ミルクキャラメルの地球儀のネオンなどだ。

 『暮しの手帖』については、大橋鎭子さんが亡くなられた後に、下記を書いていた。

『暮しの手帖』の大橋鎭子さん、その生い立ち<小人閑居日記 2013. 5. 17.>

http://kbaba.asablo.jp/blog/2013/05/17/

『スタイルブック』から『暮しの手帖』へ<小人閑居日記 2013. 5. 18.>

http://kbaba.asablo.jp/blog/2013/05/18/

いいこと、すばらしいことを伝えたい<小人閑居日記 2013. 5. 19.>

http://kbaba.asablo.jp/blog/2013/05/19/

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