日英同盟と第一次大戦参戦2017/02/26 06:59

 小森陽一さんが、「日英同盟を結んで、今いう集団的自衛権の行使から第一次 世界大戦に参戦しなければならなかった。」とした点だが、異論というか、その 詳しい経緯が書かれている本を思い出したので書いておく。 加藤陽子東京大 学文学部教授の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)である。

加藤さんは、実はイギリス側がまず、日本が日英同盟の名目で参戦すること に反対したと言う。 エドワード・グレイ外相が断った。 1902(明治35) 年に締結された日英同盟の目的は、「東亜およびインドの地域における全局の平 和」の確保と、「中国の独立と領土の保全」の確保にあった。 東亜、インド、 中国という地域についての安全保障の条約ということで、必ずしもドイツとの 戦争で発動されるべき条約でなかったのが、理由の第一。 また、1914(大正 3)年8月の時点では、戦争が長期化するかどうか不明だったので、当面は東 アジアの海域におけるイギリス商船の護衛くらいでいいのだから、と。

 だが、加藤高明(たかあき)外相に迫られたイギリスは、「日英同盟のよしみ から参戦する点について対外的に説明することまでは了解した」と認める。 た だしグレイは、日本側に条件を出す。 軍事行動の範囲を「シナ海の西及び南、 ドイツの租借地である膠州湾以外には広げない。太平洋には及ぼさない」と声 明することを日本側に要求する。 このシビアな要求に、加藤外相が応じない でいると、イギリスは、その軍事行動の範囲で日英政府は一致したとの趣旨を、 日本に知らせず公表してしまう。

 なぜイギリスは、同盟を結んでいる最も重要な国である日本に対して、軍事 行動の範囲を限定する声明を出すことを要求したのか。 その答えの一つはイ ギリス連邦や自治領側が日本に対して抱いていた警戒感から説明できる。 オ ーストラリアやニュージーランドは、日本の南下を怖れていた。 日本が日英 同盟を理由に参戦したとなれば、歯止めがきかなくなって、日本は戦闘領域の 制限を超えてドイツ領を占領するだけでなく、自分たちの国にも迫ってきやし ないかと怖がる。

 実はもう一つ理由があり、日本が日英同盟を理由に参戦してしまう場合、グ レイ外相の懸念はこちらの方が大きかった。 イギリスが極東で最も利益を持 っている場所、中国の問題だ。 中国のなかにそれぞれ勢力圏をつくっていた ヨーロッパの国々、イギリスやフランスなどはヨーロッパを戦場としてドイツ と戦っている。 その間、日本は中国に対して何らかの権益強化をやるだろう。  おそらくドイツの勢力圏であった山東半島はとるだろう、それまではいいが、 中立宣言をして、大戦に巻き込まれないようにしている中国自体の権益の一部 を、ドイツに関係するからという理由で日本の陸海軍が接収したりすれば、中 国内部からは強い反発が起こるだろう。 日本に対する中国の反発が、日英同 盟という理由から、イギリスにまで及ぼされてはたまったものではない。 イ ギリスにとって最も嫌なのは、対中貿易の利益が減ることだ。 日本が中国に 対してなんらかの措置をとることで、中国で擾乱が起こることをイギリスは警 戒した。 日本のお家芸、南方の革命派と手を組んで資金を提供し、革命を起 こさせるとか、やりそうなのだ。 イギリスは、上海・香港を拠点とする中国 への貿易額が下がることが、なによりも苦痛で心配だった。

 1914(大正3)年7月28日、オーストリアはセルビアに宣戦布告した。 ド イツ・オーストリア対ロシアの対立が深く進行していたので、8月1日にドイ ツがロシアに宣戦布告すると8月4日にロシアと同盟関係にあったイギリスが ドイツに宣戦布告し、世界を巻き込む戦争が始まる。 フランスもイギリスと 行動をともにした。 日本は、8月23日ドイツに宣戦布告したが、参戦の仕方 はなかなか強引だった。 主役は、第二次大隈重信内閣の外相、加藤高明。 大 正天皇が夏の静養中だった日光の田母沢御用邸に、夜中におしかけて行って天 皇の裁可をもらう。 学問・軍事・技術など、長らく学んできた先生にあたる 国家であるドイツと戦うことについては、元老の山県有朋などにはためらいが あったという。 加藤高明外相は、ずんずんすすむ。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「等々力」を漢字一字で書いて下さい?

コメント:

トラックバック