中島誠之助さんの『俳枕・草枕・腕枕』2017/03/16 06:37

 「いい仕事してますねえ」というセリフで知られた、テレビ東京「開運! な んでも鑑定団」の古美術鑑定家・中島誠之助さんの『俳枕・草枕・腕枕』(本阿 弥書店)を読んだ。 藤原QOL研究所の藤原一枝先生から、読みますかと問 い合わせがあって、頂戴したのだ。 中島さんが月刊誌『俳壇』に連載した随 筆で、閑弟子(かんていし←鑑定士)の俳号で詠んだ俳句が沢山散りばめられ ている。 「俳枕」は「歌枕」の俳句版、俳句に詠まれる名所のこと、「草枕」 は旅寝、「腕枕」を中島さんは「世間の出来事に超然として高いびきをかいてい るような感じで、無頼を望みながら浮世の義理にとらわれて動けないアタシの 姿を表している」と、「あとがき」に書いている。

 実はこの人、テレビで見ていて、「ぶってる」感じがして、好きではなかった。  この本を読んで、非常な苦労と努力をして、叩き上げた人なのだと知った。 浅 草の旦那衆の親睦会に呼ばれて講演した話がある。 全国各地で講演しており、 初めの五分ぐらいは落語でいう枕をやって、会場の雰囲気とカンドコロをつか み、徐々に本題に入り、手ごたえ十分で盛り上げて、どこでもうまくゆく。 だ が浅草は、押しても引いても旦那衆の反応がない。 付け入るスキを見せない のだ。 これにはアセッタ。 アタシの母親は浅草っ子だとか両親の墓は西浅 草の善照寺にあり嘉永四年の建立だとか、さんざんゴマを擂っても旦那衆はビ クともしない。 それでいて熱心に耳を傾けてくれていることは分かる。 だ からコッチはなおさら上滑りしてしまうのだ。 浅草だけは参ったのだ。 あ とで、娘の由美の亭主、台東区三筋の生まれで鳥越神社の氏子、れっきとした 浅草っ子が解説してくれた。 「なんか偉そうなこと話していやがる。そんな ことは全部ご承知だ。笑わそうたって、そうはいかないぞ」とまあ、こんなと ころでしょう。 それでいて「なかなかいいこと言うじゃねえか。吹聴してや るから安心しなよ」と認めてくれているんですよオトーサンという。 江戸っ 子のなかでも浅草っ子は一味違うらしい。 ハタと膝を打った。 アタシの講 演を聞きに来てくれたのはアタシだったのだ。

 中島誠之助さん、1938(昭和13)年東京生まれというから三つ上だ。 同 時代に育っている。 占領軍と一緒にジャズが入ってきたときは、子供心に驚 いて「ボタンとリボン」から「カモナマイハウス」まで丸暗記し、いまだに全 部スラスラ唄える。 老齢を迎えたあの頃の歌手の訃報が新聞に載るたびに、 昭和は遠くなりにけりとしみじみ思う、とある。 私も、8日に「アメリカン ドリカム『ラ・ラ・ランド』」で「デビー・レイノルズ(昨年暮、娘のキャリー・ フィッシャーの死の翌日の28日に84歳で亡くなった)」と書いたばかりだ。  『雨に唄えば』のデビー・レイノルズは、19歳か20歳だった計算になる。 そ して、それを観た私は12歳だった。