『俳枕・草枕・腕枕』で知ったこと2017/03/19 07:20

 中島誠之助さんの『俳枕・草枕・腕枕』を読んで、知ったことをいくつか。

〇戸越銀座。(私の育った中延の隣町) 品川区は総体に物持ちのいいところ で、東京で一番古い職人や商店が残っている。 戸越銀座には細川家お出入り だった箪笥屋とか畳屋があり、品川大井町界隈には大きな寺がアチコチにある。

〇鵠沼で近くの湘南白百合女学園は、戦時下、乃木女学校と改名されていた。  乃木さんは日露戦争の名将だ。 乃木女学校の校庭が艦載機のグラマンに銃撃 されて生徒が死んだ。 「制服が白かったからよ」と大人たちはヒソヒソいう。  大きな声でいうとスパイで逮捕されるのだ。

〇母親は浅草小町と呼ばれたパン屋の娘だ。 だからアタシンチは生まれな がらの美人の系譜さ。 別嬪というのは飾った美しさをいい、美人というのは 生来のものでチト違います。 ワカルネ。

〇アタシはキモノ姿では絶対に腕組みをしない。 和服で腕組みをしていい のは、任侠ヤクザと仙台四郎だけだ。 (私は「仙台四郎」がピンとこず、パ ソコンで検索した。仙台四郎の写真、見たことがあった。)

〇江戸時代前期に作られた古九谷が、佐賀県の有田で作られたものだという 「古九谷伊万里論」が学界の定説になろうとしていることに、中島誠之助さん は反論する。 「とんでもない。古九谷は加賀の文化なくしてはあり得ない」 と。 山中温泉の奥の九谷で焼かれた古九谷は、陶土が上質ではなかったので、 藩主前田家の親戚に当たる佐賀の鍋島家へ、上質の伊万里生地を注文して加賀 へ送ってもらったのだ。 豪快で高尚な古九谷の絵付けは、加賀の陶工たちの 手によってなされた。

〇(鑑定の間違いは「誤診」というらしい。) ベル麻痺(神経性の顔面麻痺) の最中に愛知県知多市へ番組の出張ロケに行って誤診をしている。 シーンを 調整しプロデューサーが謝りに行って乗り切ったが、仕事をするには何といっ ても健康が大切だということだ。

〇塩釉のジョッキ。 (「塩釉」(えんゆう)がわからず、辞書を引き、「食塩 釉、主として「炻器」(せっき、ストーン・ウェア)の焼成に用いる。最高温時 に食塩を窯の上部から投入すると、食塩のナトリウムと陶土のケイ酸が融合し、 ガラス化したケイ酸ナトリウムを陶土上に生ずる」。「炻器」…素地(きじ)が よく焼き締まり、ほとんど吸水性のない焼き物。)