旧智頭街道智頭宿「塩屋石谷家」2017/03/24 06:36

 2月21日に書いた「ちはら街並み美術館」のブログに、3月3日「智頭町 旧 智頭街道智頭宿(鳥取県)」が紹介された。

http://ameblo.jp/mei03ck/entry-12252927939.html

 智頭(ちづ)は、先頃の二度の大雪による交通渋滞でテレビのニュースで再 三登場した。 実は、ここには石谷君という大学時代のクラスメイトがいる。  同じクラスの友人が学生時代に訪れていて、豪壮な家だったと聞いていた。

 千原昭彦さんの説明文には、こうあった。 「JR智頭駅から歩いて15分、 橋を2回渡ると智頭街道に出た。」 (木綿屋米原家、旧塩屋出店の“西川克 己映画記念館”を経て)「智頭街道をさらに進むと、左手に一見代官屋敷と見違 えるような堂々たる家がある。先ほどの出店の本宅・塩屋石谷家だ。大庄屋で、 地主、山林経営もしてきた家柄だ。だが、母屋の贅を尽くした建築は割合新し く大正時代のものだという。「凄い家ね。描くならここね」と妻が私の心を見透 かしたように言った。」 難聴の千原昭彦さんの国内外のスケッチ旅行には、喜 美江夫人がいつも同行しているのだ。

 私は、ここに描かれた「旧智頭街道智頭宿」「塩屋石谷家」が、クラスメイト の石谷君の家ではないか、と思った。 メールをしてみると、やはり彼が十数 年前まで住んでいた家に間違いないということだった。 「千原さんとおっし ゃる方のお目に止まり、綺麗に描いていただいて恐縮です。」「次回上京の機会 を得たらぜひ巣鴨の美術館をお訪ねしたいと思います。」「貴兄よりよろしくお 伝えいただけたら有難いです。」とあった。 とても嬉しくなって、さっそく「ち はら街並み美術館」の千原喜美江さんに連絡したのだった。

 改めて「塩屋石谷家」で検索してみたら、ウィキペディアに「石谷家住宅」 があった。 「江戸時代に鳥取藩最大の宿場町として栄えた智頭宿における最 も大きな建物の一つ」「敷地面積は約10,000平方メートル、広大な池泉回遊式 日本庭園を中心に配された部屋は40、土蔵は7を数える。」 「石谷家は屋号 を「塩屋」と称した近世以来の商家で、明治以降は山林地主として栄えた。石 谷家住宅は、江戸時代の庄屋建築を、大正8年(1919年)以降、当時の当主で 衆議院議員・貴族院議員を務めた石谷伝四郎が改築造営したものである。現在 の主屋が完成したのは伝四郎の死後の昭和3年(1928年)である。さまざまな 様式が調和した豪壮な邸宅は近代和風建築の傑作とされる。」 「主屋など8 棟ならびに敷地が国の重要文化財に指定され、玄関棟など5棟、関係文書およ び棟札が重要文化財の附(つけたり)指定となっている(2009年12月指定)。 また庭園は2008年3月に国の登録記念物に登録されている。」