金子みすゞの弟、劇団若草の上山雅輔2017/03/28 06:37

 書こうと思ったのは、新潮社の『波』3月号にあった、松本侑子さんの『み すゞと雅輔』刊行記念の特集だった。 雅輔(がすけ)という人物について、 まったく知らなかったので、びっくりした。 松本侑子さんの「大正デモクラ シーに咲いた一輪の花、金子みすゞ」という文章によると、雅輔というのは、 金子みすゞの弟の上山(かみやま)雅輔(本名・上山正祐(うえやままさすけ)) で、この本は雅輔から見た、みすゞとその生涯、詩作の背景と情熱を、伝記小 説として書いたものだそうだ。

 「雅輔は、幼い頃に、金子家から上山家に養子に出たため、みすゞを姉とは 知らず、十代で親しくなる。二人は共に本屋の子であり、文学を語り、愛憎入 り混じった友となる。みすゞが妻となり母となると、雅輔は菊池寛の文藝春秋 社に入り、古川ロッパの下で編集者として働きながら、みすゞと文通を続ける が、姉は二十六歳で自殺する。ロッパが役者に転身すると、戦前から戦中は脚 本家として「昭和の喜劇王」の舞台を支え、戦後、ロッパ一座が解散すると、 劇団若草を主宰し、坂上忍、吉岡秀隆など、五千人の俳優を育てる。」

 その雅輔の直筆資料が、彼の没後25年たった2014年に四国で見つかった。  みすゞと交遊した大正10年から、最晩年の平成元年まで、約70年にわたる膨 大な日記と回想録で、松本侑子さんは、それを3年かけて読解したという。

 評論家・野上暁さんの『みすゞと雅輔』の書評「自死した童謡詩人と実弟の 懊悩」は、そのあたりを少し詳しく書いている。 上山正祐は、下関の本屋・ 上山文英堂の一人息子、母のフジが病気療養で里帰りしていた実家で亡くなる。  父の松蔵はフジの姉の金子ミチを後添えに迎える。 実は、正祐は一歳になっ たばかりの時、三人の子供を抱えながら夫が急逝したミチから、松蔵が養子と して引き取り、跡取りにするつもりで育てていたのだった。 正祐はそのこと を知らされていないから、父が後添えを迎えることに抵抗する。

 正祐は、父の再婚により、それまで二歳年上で気心が通じた従姉として慕っ ていた金子テル(みすゞの本名)と会う機会も多くなり、彼女も『赤い鳥』の 愛読者だと知って、テルとの語り合いに夢中になるのだ。 テルは西條八十の 童謡が好きだという。 テルが、家の事情もあって、下関の上山文英堂の店員 として働くことになると、正祐とテルとの親密さがさらに深まる。 正祐のテ ルに向ける眼差しに、まさかの危うさを感じた松蔵は、テルを使用人の宮田と 結婚させようとする。 遊び人の宮田とテルが結婚することに正祐は反対する が、テルは満更でもない。 懊悩する正祐は、テルから二人が姉弟だというこ とを知らされ、更に衝撃を受ける。 傷心した正祐は、やがて東京に出て古川 ロッパの下で映画雑誌の編集者になり、後に雅輔の筆名で華々しく活躍するこ とになるのだ。

 テルは亡くなる前年の昭和4年までに512編の童謡を作り、手書きの詩集に して西條八十と正祐に託したという。 正祐は上山雅輔として、戦後、劇団若 草を立ち上げ、石橋蓮司や桃井かおりなど多くの俳優を育て上げながら、みすゞ の手書き詩集を大切に守り、彼女の詩集を現代に蘇らせて84歳の生涯を全う した。

コメント

_ 松本侑子 ― 2017/04/10 17:20

「波」をお読み頂き、ブログにご紹介下さり、ありがとうございました。

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