桑原三郎・清水周裕共訳『汽車のえほん』シリーズ2017/04/09 07:10

 桑原三郎先生は1926年(大正15年、12月20日生まれなので5日後の25 日に昭和に改元)群馬県生まれの慶應義塾幼稚舎の教諭で、1965(昭和40) 年慶應義塾から派遣され一年間、英国の公的な国際文化交流機関British Council のVisitorとして英国に留学した。 清水周裕(しゅうゆう)さんは、 検索すると、数研出版の基礎と研究(チャート式)シリーズに『現代英文法』 (1996年)『新英語』(1984年)という著書があるので、英語の先生だなと思 ったら、1997年刊『汽車のえほん15 ふたごの機関車』の「訳者紹介」に、「1934 (昭和9)年高知県に生まれる。慶應義塾大学名誉教授。元オックスフォード 大学講師。元アルスター大学客員教授。」とあった。 その「訳者紹介」にある 清水周裕さんの、この絵本との出会いは、オックスフォードのある本屋の店先 だったそうで、のどかな英国の田園を背景に、それぞれ個性をもった機関車が 次々に登場する物語は、幼かった息子さんの愛読書となったばかりでなく、親 にとっても大変楽しい読物となったという。 そして、ぜひ日本の子供達にも 紹介したいと思い立った次第だとある。 (ウイキペディアの「汽車のえほん」 では、この出会いを「当時英国に在住中だった桑原三郎が偶然本屋で見つけ」 としている。)

 きっかけをそのように清水周裕さんとするとして、どうして桑原三郎先生と 共訳することになったのか、その事情はわからない。 ウィルバート・オード リーの1945年刊“THE THREE RAILWAY ENGINES”、1946年刊“THOMAS THE TANK ENGINE”、1948年刊“JAMES THE RED ENGINE”以下の絵本 『汽車のえほん』のシリーズが、ポプラ社から翻訳出版され始めたのは1973 (昭和48)年11月、『汽車のえほん1 三だいの機関車』『汽車のえほん2 機関 車トーマス』『汽車のえほん3 赤い機関車ジェームズ』の三冊からだった。 

 桑原三郎先生は日本語の「正書法」を説かれ、それで幼稚舎生を指導された。  日本語の当面する問題を、標準とすべき書き言葉を定めて、そのうち何を漢字 で書き、何を平仮名で書く可きか定めて、各語の正しい語音を決定することで はないかと、考えたからである。

 『児童文学と国語教育』(慶應通信・1983年)の「比較国語教育学のすゝめ」 の中に、『汽車のえほん』が出てくる。 イギリスには、子供のための特別な表 記法はなく、いわゆるオーソグラヒー、正書法、一つのことばを書き表わすに は一つのスペリングが定まっている。 同じ発音でも、「夜」はnight、「騎士」 はknight である。 その表記形は、男でも女でも、おとなでも子供でも変ら ない。 日本のように、小学一年生はかなばかりで書くという便宜がないので ある。 イギリスは児童文学の盛んな国である。 早くから子供の本が刊行さ れて、中には幼年向きの美しいがあり、ビアトリックス・ポターの『ピーター うさぎのお話』などは、日本でもそのままの体裁で、ことばだけが翻訳されて、 刊行されている。 しかし、イギリスの子供たちが、ポターの絵本を、自分で 読めると思ったら大間違いである。 オーソグラヒーで書かれている英文は、 あの絵本を楽しむ幼児たちには全く歯が立たないといってもよいであろう。  ウィルバート・オードリーの『汽車のえほん』にしてもそうだ。 子供たちは、 綺麗な絵本を買ってもらったら、まずその絵本のお話を母親にしてもらって、 はじめて楽しめるのである、と桑原三郎先生は書いていた。

 桑原三郎先生と清水周裕さんの共訳『汽車のえほん』シリーズは、1981(昭 和56)年2月刊『汽車のえほん26 わんぱく機関車』(1972年刊“TRAMWAY ENGINES”)まで続いた。