≪明暗≫・早稲田大学教旨・大隈庭園2017/04/28 07:14

  會津八一記念博物館では、特別の日にしか展示しないという、横山大観・下 村観山の≪明暗≫をたまたま鑑賞することが出来た。 佐藤さんに教わり、館 の正面入口に立ち、徐々に前へ進んで、階段上に、日輪が雲間からゆっくりと 昇って来るのを見た。 やじ馬は最近、倉本聰のテレビ朝日ドラマ『やすらぎ の郷』で大観の値段を聞きかじったので、数年前まで世界一大きな紙だったと いう継ぎ目のない越前岡太紙(越前市大滝町に紙祖神 岡太神社がある)に描か れたこの絵、数十億円はするのだろうと思った。 博物館のパンフレットは直 径4・5メートル、『エピソード早稲田大学125話』(1990年2月・早稲田大学 出版部)では5・4メートル、どちらが正しいのか、それが疑問じゃ(by坪内 逍遥)。

 會津八一記念博物館を出て、正門前へ行くと、「早稲田大学教旨」が掲げられ ている。 建学の理念の三本柱は、「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の造 就」。 大正2(1913)年、創立30周年記念祝典で大隈重信総長が宣言、草案 は高田早苗、坪内逍遥、天野為之、市島謙吉、浮田和民、松平康国などが作成 した。 当初、第四項は「早稲田大学は模範国民の造就を本旨と為すを以て、 立憲帝国の忠良なる臣民として個性を尊重し、身家を発達し、国家社会を利済 し、併せて広く世界に活動す可き人格を養成せん事を期す。」となっていたが、 第二次世界大戦後「立憲帝国の忠良なる臣民として」が削除された。 昭和12 (1937)年につくられた正門前の碑文は、歴史的資料として、早稲田大学はそ のままにしている。 「造就」「身家」「利済」、どれも難しい言葉だ、『広辞苑』 になかった。

 その正門前、道路を隔てて、大隈講堂や大隈庭園がある。 大学紛争の頃、 道路の両側は、大学構内だから検挙できないが、道路は公道だから、道路に下 りると検挙されたという。 30年ほど前、いろいろお世話になったけれど定年 になりましたと、早稲田専属の私服が佐藤さんの所に挨拶に来たそうだ。

 大隈庭園の入口には、ピンクの可愛らしい建物があって、Uni. Shop & Café 125 につづいている。 早大で一番古い建物だそうで、大隈邸の頃は馬丁小屋、 佐藤さんが学生の頃は交通公社だったという。 大隈庭園は新緑が美しく、広 い芝生もあり、学生たちの憩いの場らしいが、土曜なので家族連れが遊んでい た。 左手は大隈会館、その奥はリーガロイヤルホテル東京。 右奥の築山に ある大隈綾子夫人の銅像を見て、下りたところに800余年の歴史を持ち昭和27 (1952)年に飛騨から移築された古民家、完之荘(かんしそう)がある。 完 之(かんし)とは、寄贈した校友・小倉房蔵氏の雅号とのこと。 佐藤さんの お友達がお見合いをしたそうだ。

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