横松宗著『福沢諭吉 中津からの出発』〔昔、書いた福沢23〕2017/05/12 07:10

 ついでだから、月に5日15日25日の三度書いていた「等々力短信」の次の 号も再録する。

  福沢と郷里中津<等々力短信 第580号 1991. (平成3)10.5.>

 映画『福沢諭吉』にあわせて、福沢ブームの観がある。 本も何点か出版さ れたが、前回ご紹介した中島岑夫さんの『幕臣 福沢諭吉』とともに、横松宗 (たかし)さんの『福沢諭吉 中津からの出発』(朝日新聞社)が、おすすめ だ。 横松さんは、福沢と同じ大分県中津に、1913年に生まれた。 教育 史、中国思想史がご専門、八幡大学教授、学長を務められた。 福沢諭吉協会 のセミナーで、お見かけしたことがある。

 あの時代に、あれだけの斬新な考え方をする人物が、なぜ九州の一小藩から ポッと現われ出たのか。 その不思議に、横松さんは、いくつかの要因を挙げ て明快な答を示してくれた。 同郷という縁で、福沢の「中津からの出発」に 長年にわたって関心を持ち続けてこられた成果だろう。 福沢は、突然変異の 人ではなかった。

 第一章「郷里中津とその学統」では、父母の影響、中津藩のきびしい身分制 とそれへの抵抗、中津の儒学、中津の蘭学、民話と中津、といった要因が説明 される。

 面白いのは、後年あれほど儒学を排斥した福沢が、中津の儒学の学風に影響 を受けていたという指摘である。 福沢が師事した白石照山は、幕府御用学の 朱子学にたいして異端の亀井派に傾倒していた。 照山は、福沢の父百助も学 んだ帆足万里(三浦梅園の学統をひく)の弟子、野本真城に学んだ。 福沢の 実学尊重、蘭学への転回や対外政略観の形成に、これら中津儒教の学問と人の 影響が色濃いという。 具体的には、野本の門人たちが、福沢の長崎遊学を支 持したと考えられるのだそうだ。

 もう一つ、興味のあるのは、民話である。 横松さんは、「福沢の合理的精 神、時には毒舌やギャグを交えた批判的精神を育てたものに、この地方に江戸 時代の後期から流布していた吉吾(きちご)の民話があったと推定される」と いう。 落語好きの、福沢いかれ派にとって、見逃せない指摘である。

没後90年、福沢悲願の欧米キャッチアップに、有形では成功したかに見え る日本。 冷戦終結にともなう激動の世界で、日本の果たすべき役割、「国民 みずからの自発的内発的革命」(横松さん)といった無形のほうの充実など、 まだ福沢に相談しなければならないことが、山積している。 序章の一部しか 紹介できなかったが、横松さんの本は、福沢の生涯と思想の全体像を、福沢研 究の最近の成果もふまえて、わかりやすく、コンパクトにまとめてくれていて まことに有難い。