「国のかたち」の大変化と憲法制定・改正2017/05/23 07:04

 福沢が訪れたアメリカは、南北戦争の直前と直後で、南北戦争をはさむ大き な変革期のアメリカだった。 最初の訪米は1860年で、南北戦争の一年前、 南北の対立激化と内戦の迫り来る時期だったが、サンフランシスコにしか行っ ていない。 2度目の訪米は1867年で、南北戦争終了から2年後、戦後の政 治対立、南部再建、憲法改正の時期で、ニューヨーク、ワシントンに行き、リ ンカーン暗殺で大統領になったアンドリュー・ジョンソンにも面会している。

 南北戦争(1861-1865)は、アメリカ史上最大の戦争で、奴隷、領土、産業 政策など「国のかたち」をめぐって、建国以来の南北の対立が爆発した。 独 立と建国の理念、合衆国と憲法存続の危機であった。 新しい領土にも奴隷を 認めるのか、お互いに干渉しないという契約の州権主義と、国民との約束、信 託の合衆国という考え方の対立があった。 南部諸州の連邦脱退による分裂と、 北部諸州勝利による統一の維持という結果になった。 新しい「国のかたち」 と三つの憲法修正条項制定(これを福沢が書いていたら、面白かったと、阿川 さん)。 修正第13条(1865年)奴隷制の禁止。 修正第14条(1868年)市民権、法の適正手続、法の平等保護。(州に直接適用され、アメリカは独立国 家になった。) 修正第15条(1870年)投票権の平等。

 一方、日本では、南北戦争とパラレルで、幕末維新の動乱、戊辰戦争があっ た。 ペリーの黒船来航という安全保障の危機、存立危機事態に、日本という 「国のかたち」の論争となった。 日米両国はそれぞれ、「国のかたち」の大き な変化に直面したのだ。 19世紀後半には、各国で内戦と国家統一があった。  アメリカ、日本のほか、ドイツとイタリアでも統一戦争があった。 「国のか たち」の変化にともなう痛みがあり、日本では、戊辰戦争、士族叛乱の弾圧な しに、明治国家は実現せず、アメリカでは、奴隷制廃止なしに、今日のアメリ カ合衆国はなかった。 佐幕と南部は似ている。

 新しい「国のかたち」を表現するのが、憲法典の制定・改正である。 国家 統一の実現、政治と社会の安定、近代化・産業化の進展。 明治日本はドイツ 色の強い大日本帝国憲法を制定し、アメリカ流の憲法は維新から80年後の日 本国憲法を待たねばならなかった。

 憲法典と「国のかたち」の関係には、狭義の憲法と広義の憲法(実質的憲法、 慣習法)がある。 「国のかたち」の変化が憲法制定・改正をもたらすのか?  憲法制定・改正が「国のかたち」の変化をもたらすのか? 憲法改正に関する 現在の議論と、日本という「国のかたち」の変化について、阿川尚之さんは次 のように話したと、私は聴いた。 文字の上でいじるのは、大事だけれど、本 質ではない。 約70年間、機能してきた憲法は国民の生活と慣習の中で、「国 のかたち」となっている。 変化が起こっているのか、「国のかたち」を変えた いのか、変えるべきなのか。 真っ当な議論をして、真っ当な結論を出す必要 があるだろう。

 そして、阿川尚之さんは19日に書いた結論、「国のかたち」を示した福沢諭 吉とエイブラハム・リンカーンに話を進めたのである。 

 阿川尚之さんの憲法改正に関する考えは、下記に書いていた。

アメリカ憲法史から日本の改憲を考える<小人閑居日記 2017.3.29.>

トクヴィルと福沢の見たアメリカ<小人閑居日記 2017.3.30.>

自治のアメリカ、群れるアメリカ<小人閑居日記 2017.3.31.>

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