竹森俊平教授に聴いた「地政学」 ― 2017/06/27 07:08
沼田篤良さんの『オリエント急行と地政学』の話は、今月初めに書いた同じ 交詢社で聴いた竹森俊平慶應義塾大学経済学部教授の「福沢諭吉は『日露戦争』 をどう受け止めただろうか」に、響き合うものがあった。 それを私は、ビス マルクが築いた安定、戦争で崩壊<小人閑居日記 2017.6.1.>、岩倉使節団、 憲法調査、伊藤博文と福沢<小人閑居日記 2017.6.2.>、シベリア鉄道、福沢 の日英同盟論<小人閑居日記 2017.6.3.>に書いている。 関連する個所を引 いて、自分自身のまとまった認識にしておきたいと思う。
「通信や運輸の発達、鉄道がなければ、日露戦争は起きなかった。 シベリ ア横断鉄道によって、ロシアは地球の半分の距離のところに120万人を集結さ せ、日本は90万人を集結させた。」
「1891(明治24)年、ロシア皇太子ニコライ(ニコライ2世)が世界一周 の途中日本に来遊、警察官に斬りつけられて負傷する大津事件が起きる。 日 本に来る直前、ニコライはウラジオストックで、シベリア横断鉄道の定礎式を 行っていた。 シベリア横断鉄道は、満蒙を通った方がシヨートカットできる。 これが世界史を変える重要な意味を持っていた、中国とロシアの接近である。 鉄道をさらに南に延ばし、旅順まで(のちの満州鉄道)行くのは、完全に産業 上のプロジェクトだった。 中国市場を視野に、百年の先見の明だ。」
「シベリア横断鉄道のシヨートカットは1895(明治28)年、清が日清戦争 の日本への賠償金を、フランスから借りるのをロシアが保証して助けた。 中 国づいたドイツが、遼東半島をパッと取り、ロシアも旅順を取り、シベリア鉄 道の南進を図る。」
「日清戦争が終った頃の、福沢の時事新報の論説(1895(明治28)年6月 21日、『福澤諭吉全集』15巻)に「日本と英国との同盟」がある。 日本が 日清戦争に勝った結果、非常な名誉利益を得たが、この権益を一つの国で保つ のは大変だ。 ヨーロッパのある強国とタイアップ(同盟)して、双方の利益 を謀るべきだが、ヨーロッパの国々は相互の関係が込み入っている。 ひとり イギリスだけは、そのパワー・バランスに加わっておらず自由なので、長く組 むことが出来る。 イギリスの利害は、ロシアの南進を防ぎたいという多年の 外交戦略にある。 ロシアの南進運動は近来、トルコ、アフガンの侵略に満足 せず、満州朝鮮にもなすところがある。 かのシベリア鉄道が完成すればもち ろんだが、その前にも活発な運動を目撃するだろう。 日本と英国との同盟は、 両国にとって非常な利益になる、というのである。」
「日露戦争直後の1905(明治38)年、来日したアメリカの鉄道王ハリマン は、南満州鉄道(満鉄)の日米共同経営計画を日本政府に提案した。 日本で はほとんどが賛成で、桂太郎首相との間で桂・ハリマン覚書(協定)が交わさ れたが、ヴィッテにやっつけられ、ポーツマス条約の締結を終えて帰国した小 村寿太郎外相が強く反発したため、覚書は消え去ることとなった。」
「竹森俊平教授は、ここは(もし福沢がいれば)福沢の出番だった。 もし アメリカと組んでいれば、その後のアメリカとの衝突は回避されたのではない か、と言った。」
最近のコメント