入船亭扇辰の「なす娘」2017/07/26 06:34

 仲入後に出た扇辰は、いよいよ白熱の後半、前半は遊びみたいなもので、と 始める。 暑いですねえ、途中で、帰ろうかと思った。 二高座目、寄席の代 演をやってきた、命にかかわる。 末廣亭、一階は桟敷まで満席で、二階も入 っている。 代演はお互い様だけれど、次の人が来ない。 つながなきゃなら ない、大先輩、亭号と名前が同じ人。 立て前座が、お後が来てませんので長 目にお願いします、と言う、正蔵さん、副会長の倅。 高座で「なす娘」をさ らってきたんで、そんなに悪い出来じゃないと思いますよ。 噺家には身分制 度がある、前座、二ツ目、真打、ご臨終。 前座にとって、楽屋は針の筵。 誰 の弟子だ、いい噺家になれよ、なんて言う人は、一人もいない。 この野郎、 何かしくじらねえか…、馬鹿野郎、誰の弟子だ! と、お茶をかける。 やり たくても、ウチじゃできないから。

 寺方も修行が厳しい。 五戒を保つ。 殺生戒、偸盗戒、妄語戒、飲酒(お んじゅ)戒、酒を飲んじゃいけない、般若湯、ビールは麦般若、泡般若という。  もう一つが邪淫戒、ご婦人のこと。 女は汚らわしい、叩けば恨んで泣く、殺 せば化けて出る。 私が言ってるんじゃない、そう教わった、苦情は扇橋に。  女の腹から、みんな出た、女はこの世の神様だ。 昔のお坊さんは、おかみさ んを持てなかった。 名僧、高僧は、一生独り身で過ごした。 内緒で持つ、 大黒さん、寺庭(じてい)さん、堂守とか言った。 <大黒を和尚布袋にして 困り>(布袋は腹がふくれている)。

 鎌倉山(かまくらやま)に曹元寺という寺があって、宋全というお坊さんが 独り身で、寺男の庄作と二人で住んでいた。 本堂の横で野菜作りをし、茄子 が大好物だった。 茄子に無駄花はなく結実する、「親の意見と茄子(なすび) の花は千に一つの無駄もない」。 茄子をキュキュッともいで、夕餉の膳に。

 庄作が、明日からお祭なので、ちょっと様子を見に行く、部屋に蚊帳が吊っ てあります、と出かける。 蚊帳をくぐって煎餅布団へ、根を詰めると疲れが 出る、歳のせいか、ウトウトする。 鎮守の杜から、かすかに祭囃子が聞こえ る。 部屋の隅は開け放たれ、奥の竹林から吹く風が気持よい。

 ふと人の気配を感じて、見ると、十七、八の友禅の浴衣に高島田のいい女が、 しょんぼりと座っている。 聞くと、私は茄子の精です、日頃和尚さんに可愛 がっていただき、早く大きくなれ、大きくなったら、わしのサイになれ、とお っしゃって下さっていましたので、肩など揉まして頂こうか、と。 わしの妻 ではなく菜、おかずになれと言ったのだ。 せっかく来て下すったんだ、肩で も揉んでもらおうか。 では、ごめんなさいと、肩に手をかける。 気持がい い、若いから力があって、手もヒンヤリとしている。

 一天にわかに掻き曇り、まっ暗になって、遠雷が聞こえ始めた。 一雨来る かと思っていると、盆を返したような凄まじい勢いになった。 近くに落雷、 ガラガラピシャーーン! 娘が宋全の胸元に飛び込んで来る。 女の髪の匂い が、宋全の脳下垂体を刺戟した、ピカリッと光ると、友禅の裾が乱れて、赤い 蹴出しがはだけ、雪のように白い脚が太ももまで…。 木石ならぬ宋全、肩に 回した腕に、思わず力が入った。 モザイクがかかる。

 ガラリ、夜が明ける。 娘の姿はなく、蒲団はびっしょりと濡れている。 宋 全は、夢かと思ったが、夢にしろ修行が足りない、墨染の衣をまとうと、修行 の旅に出た。

 五年の歳月を、四国を始め巡礼行脚に過ごして、宋全が故郷に戻ると、田畑 の育ちはよいが、寺は荒れ果て、無住の寺となっていた。 本堂の脇の畑の中 を抜けようとすると、「お父様」と五つ、六つの女の子が衣の裾につかまる。 今、 何と言った。 「お父様」と申しました。 これこれ、家に戻るがよいぞ。 で も、あなたは「お父様」、私は茄子の娘(こ)ですよ。 あれは夢ではなかった のか、長年待ちわびておられたのか。 膝に乗れ。 重いな、いくつになる?  五つになりました。 ここは無住の寺、今日まで誰に育ててもらった? 一人 で大きくなりました。 なに、一人で大きくなった……、ははあ、親が茄子と も子は育つ。