柳家権太楼「ヒロクミさんと丁々発止」2017/08/06 07:40

 クラスメイトのオチケンOB、二代目雷門牛六(もーろく)こと長沼毅さん が、読売新聞連載『時代の証言者 噺家の了見 柳家権太楼 70』(6月10日~ 7月24日、全30回。永井好弘編集委員の聞き書き)の切り抜きを送ってくれ た。 なかなか落語研究会に来られなくなった彼に、毎月の落語研究会の「小 人閑居日記」を送っているからだろう。

 落語研究会を第一回から聴いている(毎度の自慢だ)長さだけを根拠に生意 気を言わせてもらえば、柳家権太楼は面白い、このところ心境著しいと思って いる。 永井好弘さんのまえがきは、こうだ。 「平成の「落語ブーム」を引 っ張る爆笑派の大看板。口演数は年間700席以上、熱気と愛嬌に満ちた渾身の 芸で寄席を守り、落語の可能性を広げるべく奮闘している。達人が語る「落語 家魂」とは――。」

 私が柳家権太楼の名を知ったのは、寄席ではない。 二ツ目の柳家さん光時 代に、第132回の落語研究会(1979(昭和54)年4月26日)に出て、前座で 「人形買い」を演ったようだが、これも記憶にない。 それはNHKラジオの 「土曜サロン 広瀬久美子のラジオワイド」の「リクエストアワー」のおしゃべ りであった。 広瀬久美子アナのNHKでこんなこと言っていいのと思わせる 自由奔放な振りに、応える相手役の柳家権太楼が、また抜群に面白かった。 土 曜日の夕方、会社から兄の車に便乗して帰る途中に聴いて、二人で笑っていた。 

最終回、番組を変えられるのが不本意だったらしい広瀬久美子アナが鈴木三 重子「愛ちゃんはお嫁に」をかけたのには、意図が見え見えで、本当に大丈夫 なのかと思った。 後に、広瀬久美子アナの夫君が、慶應志木高でいっしょだ った広瀬一郎さんと知る、そう言えば久美子アナの旧姓は白石、早稲田大学出 身なのは知っていた。 山田洋次監督が、広瀬一郎さんの高校受験前に家庭教 師だったと、聞いたような記憶がある。 NHKで芸能関係のディレクターな どをしていた彼は、残念ながら亡くなったけれど…。

『噺家の了見 柳家権太楼』23回は、「ヒロクミさんと丁々発止」。 二人で しゃべり放題、「リクエストアワー」なのに2時間で2曲しかかからない。 お 題を出して、三題噺を作らせられる。 スタジオの外で、必死に考えて、戻っ たら、すでに放送終了。 でもヒロクミさん、少しも慌てず「権太楼さんの落 語、できたみたいですね」って、番組を再開しちゃう。 NHKでこんなこと できる人、他にいるかしら? 番組に来るはがきは賛否両論、何でも紹介しち ゃう。 本番中に「俺はせこい大学出で」と言ったら、明治学院OBから反響 が来た。 「自分の学校を誇れないヤツは悲しい」 こうなると、ヒロクミさ んが張り切っちゃうんだ。 「読んでいい?」 「どうぞどうぞ」 「権ちゃ ん、どう思うの?」 「卑下してるだけですよ、テメエの大学が立派かどうか なんて、人前で言うもんじゃないでしょ」 「ふふふ」 「でもごめんなさい、 二度と明学の悪口は言いません」

権太楼は、この番組を真打になった1982(昭和57年)から3年間、広瀬久 美子アナはその後も続けて、結局22年間やった。 権太楼は言う、「しゃべる 仕事の面白さ、怖さ、奥の深さを体で教えてくれたヒロクミさんは、あたしの 師匠の一人です。」