ライバルさん喬、師匠小さん、志ん朝師匠2017/08/12 07:11

 「噺家の了見」で、柳家権太楼は、柳家さん喬を生涯のライバルだという。  真打昇進直後から、30年以上も高座で戦い続けてきた。 どちらも団塊の世代 で、力量に差はないが、目指す落語の形は違う。 寄席に客が来ないのが当り 前という1980年代後半、志ん朝・談志、小三治・扇橋に続くスターが欲しい、 当時の落語協会事務局長が仕掛けたのが「さん喬権太楼二人会」だった。 二 人そろえば必ず真剣勝負になった。

 修業時代、権太楼は師匠小さんに面と向かって噺を教わった記憶がないとい う。 1982年に真打になった後、おそるおそる「あのォ、『子別れ』を教えて ほしいんですけど」と話しかけると、「そうか。紀伊国屋(寄席)でやるから来 いや」。 舞台袖で師匠の噺をじっと聞く。 終演後、すし屋で酒を飲みながら ―。 それが小さんの稽古、杯を重ね、芸論が始まると、もう止まらない。 小 さんは落語のことを話すのが大好きで、「俺はこういう了見でやる。誰それはこ んな形だ」。 「了見」「自然体」という言葉をよく使った。 「狸の噺をする ときは、狸の了見になれ」、そんなことをいわれても、狸に知り合いはいないし …。 「それらしく演じろ」ということなのだろう。

 師匠とそんなふうに話ができるようになっても、「やっていいですか」と言い 出せないネタがひとつ残っていた。 小さん十八番の「笠碁」、お弔いの時、心 の中で「『笠碁』をやらせてね」とお願いした。

 私は、2005年9月29日の第447回「落語研究会」で、権太楼の「笠碁」を 聴き、こう書いていた。 「「がくゆう」とよく麻雀をやったという話から入る。  「学友」でなくて「楽友」、楽屋の友、徹マンになっても「大丈夫、大丈夫、あ したは池袋だけだから…」という友だという。/権太楼は、ここ数年、進境著 しく、いつも楽しい高座が期待できる。 「笠碁」も、いる人が強すぎて碁会 所には行けない「ヘボ」と「ザル」、子どもの頃からの友達ふたりの意地の張り 合いを、可笑しく聴くことができた。」

 古今亭志ん朝師匠が亡くなって16年、一流料亭を思わせる矢来町のお宅で、 権太楼はよく師匠と夜通し飲んで語ったことが忘れられないという。 志ん朝 師匠がトリをとる、いつも満員御礼の寄席の一門が並んだ番組に、権太楼とい う異分子を入れてくれた。 「金明竹」「代書屋」など、古今亭にない爆笑落語 をぶつけた。 「火焔太鼓」や「三枚起請」など古今亭のお家芸の一つ「疝気 の虫」を、他の噺家さんに教わったんだが、志ん朝師匠の許可を取らないとで きないので、頼むと「あれはオヤジの十八番。俺にもできないんだぞ」、一年か けてやりますというと、「どんな虫になるのかな。必ず聞かせろよ」。 だが、 志ん朝師匠は一年たたずに亡くなってしまった。 翌年11月、鈴本演芸場の 権太楼独演会で「疝気の虫」を出した。 小さな体を思い切り横に曲げ「助け てください!」と叫ぶヘンテコな虫。 どうです師匠、と問いかけながら演じ ているという。

 連載の終わりに柳家権太楼は言う、「盟友 さん喬さんや、桃月庵白酒、春風 亭一之輔さんら人気者を向こうに回して一歩も引かない古希の権ちゃん。そん な「噺家の了見」を見に、寄席へ足を運んでくださいな。」

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