小泉信三追悼・吉田茂の思い出話2017/08/20 07:44

 今月初めに「再建された旧吉田茂邸を見学」<小人閑居日記 2017.8.2.>を 書いた。   http://kbaba.asablo.jp/blog/2017/08/02/

そこに書斎や寝室の書棚の吉田茂の蔵書の中に、小泉信三の著書が沢山あっ たことを書いた。 あの本には、献呈のサインがあるのだろうか。 何気なく、 古い<小人閑居日記>を読んでいたら、2009(平成21)年3月22日の吉田茂 邸火災の翌々日に、小泉信三さんが亡くなった時の、吉田茂の思い出話を書い ていて、藤原工業大学についての面白い話だった。 すっかり忘れていた。

   吉田茂・談話「小泉信三」<小人閑居日記 2009. 3.24.>

 「小泉信三展」のプログラムには、はさんであるものが他にもあった。 一 つは、小泉信三さんが昭和41(1966)年5月11日に亡くなった直後、『文藝 春秋』7月号の「勇気ある自由人・小泉信三」という特集の黄色くなった切り 抜き。 その最後に、一昨日旧邸が焼けた吉田茂さんの談話がある。 吉田さ んらしいユーモアが、そこはかと無くにじんでいる。

 「昨年の今頃、御一緒に東宮御所にお招きを受けましてね。私は少し体具合 が悪くて、脳貧血を起して倒れたのです。その時、抱き起こして介抱して下さ ったのでしたが、それが逆転して、幽明境を異にするとは……。これが運命と いうものなのでしょう。死ぬのは心臓が一番ですな。長患いで傍(はた)の者 に迷惑をかけることもないし……。爆撃のご災難にも堪えた立派な心臓だった のでしょうに……。

 こんな話を聞いたことがある。藤原さん(銀次郎・元王子製紙社長・商相等) が、慶応に「藤原工大」というものを寄附することになった。小泉さんが塾長 の時ですかね。その時、小泉さんが、どうせ寄附してくれるなら「慶大工学部」 として欲しいと云われた。藤原さんは不満でね。尠なからぬ私財を寄 附するのだから、名前ぐらいつけてくれたっていいじゃないか、ずいぶん心臓 の強いことを云う人だと思ったが、強いも道理、名前がシンゾウだった、とい うのです。

 立派な人は、死に方も立派ですね、私なんぞ往生際はよくないでしょうよ。」

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