柳家喬太郎の「にゅう」2017/08/26 07:24

 断捨離という言葉が出来て久しいけれど、なかなか手をつけられない、と喬 太郎は始めた。 押入れを少し整理しようとしたら、長細い箱にお猪口が三組 入ったのが出て来た。 備前とか、織部とかいう品でなく、工場でガチャンと つくったもの、次郎長二十八人衆の絵。 学生時代の卒業旅行、日大オチケン の仲間と、熱川に行った。 バナナ鰐園でキャアキャア喜んで、三島経由で帰 った時に、買った。 二十代前半の私が、どんな興味で買ったのか、取って置 くと、値打が出るかもしれない。 出ない。 (日大落研といえば、前の柳家 わさびは、先輩・春風亭一之輔に落語のCDを借りてはまり、先輩・さん生に 入門して、生ねん(少年なのだろう)になった。古今亭右朝、立川志らくもい て、日大落研、一大勢力である。)

 駒形に半田屋長兵衛という茶道具の目利きがいる。 あなた、中橋の万屋五 左衛門さんから書面でお迎えが来てますよ。 見せびらかすつもりなんだ。 何 度もお迎えなので、一遍行かないと。 誰か代りはいないかな、そうだ、ウチ の弥吉をやりましょう。 弥吉…、馬鹿ですよ。 馬鹿だよ。 婆やが地主さ んの坊ちゃんをあやしていたら、坊ちゃんの口の中に、自分の踵(かかと)の 皮をむしって、入れてるんですよ。 町内で穏やかな好人物で知られた源兵衛 さんも怒らせた。 弥吉を呼んでくれ。

 立ってないで、座りなさい。 お前が立て。 座んな。 源兵衛さんを怒ら せたってな。 痔で困ってるてんで、銭亀に糸をつけて、おけつの周りで振れ って言った。 呪(まじな)いか? 亀ふって痔固まる。 お使いに行って来 な。 お前が半田屋長兵衛になって行くんだ。 店を譲るのか。 譲らないよ、 中橋の万屋五左衛門さんへ行って来い、今、教えるから…。 寄付きか、囲い (茶室)に通される、指で三角をつくって鼻を入れてお辞儀をする、下から横 目で見上げちゃあ駄目だ、手前はお招きに預かりました半田屋長兵衛でござい ます、以後はお見知りおかれまして、ご別懇に願います、と。

 向うには見せたいものがある、松花堂の啜醋(すすぎ)の三聖が自慢だ。 お 箱は小堀権十郎様、床の掛軸に向かって、天地は唐物緞子、中は白茶地の古金 襴、鷺燕一文字は紫印金、結構なお仕立てで、松花堂無類の出来でございます、 かようなけっこうなお品を拝見いたしますのは、手前どもにとりまして、目の 修業になりますと、卑下するんだ。 先生、お引き取りは? と、値を聞いて 来る。 そこで「にゅう」をつけるんだ、傷をつけておくんだ、口で…。 舐 めて、穴を空けるのか? 絶対やるな。 ご祝儀の席では不向きだと言うんだ、 孔子、老子、釈迦だろう、釈尊が入ると「仏(ぶつ)」になると。 他に腰の物 を、自慢で出すかもしれない。 脇差だ、ちょっと抜いて拝見して、ちょいと 上げもんでございます、と言うんだ。 長いのを短くしたのを、上げ物と言う んだ。 お薄が出る、おれがいつも掻きまわして飲んでいる青大豆粉みたいな お茶だ、頂戴いたしますと飲めばいい。 茶菓子が出る、栗饅頭か何か。 い くつ? 一つだ。 形(なり)をこしらえてやんなよ、襞(ひだ)が取れた袴、 前と後ろが逆さまだが、その方がいい。 雪駄は、犬が片方持って行ったのか、 草履の片方とで。 頭はそのままがいい。 これが私か、つらいな。

 行って来ます。 裏から入ってやれ、建仁寺垣を壊して中に入る。 茅門(か やもん)をドンと突いて、閂(かんぬき)を壊す。 下草を踏んで、苔で滑っ て松の枝につかまり、枝を折って、石灯籠を倒した。

万屋五左衛門、お香を聞いていた。 障子に穴を空けて、「饅頭、旨えか」。  植木屋さんかい。 半田屋長兵衛でございます。 先生ですか、これが風流の 道で…。 中にお入り下さって、まさか裏から、建仁寺垣と閂を壊して、松の 枝を折り、石灯籠を倒して、風流でございますな。 指で三角をつくって鼻を 入れてこうする、してはいけないことだが、下から横目で見上げる。 銭亀に 糸をつけて、おけつの周りで振る。 何でございますか。 亀ふって痔固まる。  にゅうをつけて、卑下をする、お箱に釈尊が入ると「仏(ぶつ)」になる、紫陰 金、田虫、ご祝儀の席には出せません。 風流だなあ。 万屋がはばかりへ行 ってしまう。 さっき、何か食っていたな。 弥吉、香炉の中の炭を口に入れ る。 アチチチチチ! 風流は難しい、先生、口の中に傷が出来やしませんか。  「にゅう」が出来ました。