昔からつながり、伝わってきたもの2017/09/09 07:20

山本道子さんは、慶應義塾創立百年の年に中等部に入学、四谷から赤羽橋へ 丘を越える都電で、その年12月に完成した東京タワーが丘の上にどんどん高 くなるのを眺めながら通学したそうだ。 中等部では西村亨先生(名誉教授) から国語の、折口信夫先生の話を難しくなく、子守歌のように聞かせてくれる 授業を受けた。 折口さんの書かれたものは、文学の解釈をはじめ、天才的な 民俗学の視点から語られている。 祭りなどのいろいろな習俗のなかにも、昔 からの何か意味合いがある。 料理にも昔からの記憶が織り込まれている。 そ んな昔からつながってきたもの、伝わってきたものに、山本道子さんは惹かれ るという。 脈打つ何かがある料理こそ、生きている料理というふうに思える と言う。

「4. 気候と風土」で、山本道子さんは、俳句は日本の気候風土で育ってきた のだからと、俳人の西村和子さんとの対談の話をし、その俳句を紹介する。

  湯上りの爪立ててむく蜜柑かな

  愚痴聞きつ手持無沙汰の蜜柑むく

  蜜柑むき大人の話聞いてゐる

蜜柑が特殊なのは、こんなに皮のむきやすい柑橘類はほかにないことで、そ れは日本の風土で育まれてきたものだ。 湯上りで暑くて火照っている時、蜜 柑を急いで食べたい。 爪を立てて、びゅっとむく。 蜜柑の皮むきは、他の 何かをしながらでもできる。 愚痴を聞いたり、子供が大人の話を聞いたりし ながらでも…。 適当な相槌を打ちながら、皮をむくことができるのは蜜柑な らではのものだ。

西村和子さんの、こうした句のなかには、自分たちの風土のようなものが自 然に詠み込まれている。 句を詠むことで、自分たちの文化のどこかに手を伸 ばして、すくい上げてくる。 もちろん、季題には日本の風土が入っているけ れど、ここには根無し草ではない強さがある。 俳句には、気候と風土の根に 迫っていけるところがあると、山本道子さんは思うのだ。

俳人高浜虚子は昭和11(1936)年、船でヨーロッパへ出掛けた。 4月26 日、桜の名所のヴェルダーでお花見をし、藤室夫人の携えてきた日本弁当を食 べていたら、「群衆怪しみ見る」。 そこで一句。

  箸で食ふ花の弁当来て見よや

箸は日本の食の原点、お弁当も長く日本人に愛されている。 和食の世界無 形文化財登録を受けて、日本の文化を押し出していこうという機運が高まって いるけれど、そのエッセンスを凝縮した俳句を80年前に詠んでいるのは、さ すが虚子、日本の伝統文化の食文化がうまく一句になっていると、山本道子さ んは言う。 (この高浜虚子のヨーロッパ旅行については、本井英主宰の著書 『虚子「渡仏日記」紀行』(角川書店・2000年)がある。)

こうした私たちの中に流れているものや、伝わっているものは無意識にとど まっているものかもしれない。 そうしたところを少し意識的に捉えていくと、 力になってくれるのではないかと、山本道子さんは今、考えているのだそうだ。