絵画展からイギリス王室の歴史へ2017/09/13 06:30

 人類史を切り拓いた鉄道<等々力短信 第1096号 2017.6.25.>に書いた、仲 間内の情報交流会で『オリエント急行と地政学』という話をしてもらった沼田 篤良さんは、趣味で絵をお描きになる。 先日、新宿南口の全労済スペースゼ ロギャラリーで、お仲間とイメージ・アート・クラブ展を開催されたので拝見 した。 キューバ風景、ドーバーの白い崖、日光金谷ホテル、美味しそうな魚 (ミノカサゴ、キンキ、ホウボウ、ヒラメ)などが描かれている。

何枚かの絵には、私が行く前に、奥様がみえて手伝われたという解説文が貼 られていた。 ご本人は「夜店と同じで商品のレベルの低さは口上で補うしか ないんです」と謙遜されるのだが、興味深いものがある。 その中に、ウィリ アム4世とキャメロン首相の関係を説明しているのがあった。 ぜんぜん知ら なかったが、お話を伺うと、キャメロン元首相は、ウィリアム4世の子孫の家 系の出なので、エリザベス女王とも親戚関係になるのだそうだ。 ただ、その 説明の方にばかり気を取られて、もとになる絵が、あとで出て来るBushy Houseだったかどうか、記憶がなかったのは迂闊だった。

 イギリス王室の歴史については、漠然とした知識しかなかった。 家に帰っ てから、そのへんを少し調べてみる。 ウィリアム4世の父は、ジョージ3世 である。 ジョージ3世には息子9人、娘6人、計15人の子があった。 長 男がジョージ4世、放蕩息子だった。 次男がフレデリックで、愛人が沢山い た。 三男ウィリアム(1765-1837)が、英国ハノーバー朝第5代目の国王ウ ィリアム4世(在位1830-1837)となる。 ウィリアムは、1827年に海軍司 令長官、1830年長男ジョージ4世の死去により即位し、「水兵の国王」といわ れた。 四男はエドワード、ケント公、後に述べる。

 ウィリアムは、1791年26歳で、30歳の売れっ子女優の愛妾ドロシー・ジョ ーダンとBushy ParkのBushy House で20年暮して10人の子を生した。 キ ャメロン第75代首相は、ドロシー・ジョーダンの庶子10人のうち、三女エリ ザベス・フィッツクラレンスの子孫で、エリザベス2世の遠縁になる。

 ウィリアムは、1818年53歳で27歳下のアデレード26歳と結婚、弟のエド ワードと合同結婚式を挙げた。 1830年に即位したウィリアム4世と、王妃ア デレードの間に王位継承者がいなかったため、1837年のその死後、弟のケント 公エドワードの娘ビクトリアが18歳で即位する、かのビクトリア女王である。  ビクトリアは、1840年ザクセン=コーブルグ=ゴーダ家のアルバート公と結婚 する。 ビクトリア女王は在位1837-1901年、64年間の治世、ビクトリア時 代はイギリス帝国主義の最盛期を画した。

 ウィリアム4世とドロシー・ジョーダン、アデレード妃の関係は、どこかチ ャールズ皇太子がダイアナ妃との結婚10年前から付き合っていたというカミ ラ夫人、ダイアナ妃の関係を連想させるものがある。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
「等々力」を漢字一字で書いて下さい?

コメント:

トラックバック