幼稚舎とイギリスとの交流、事始め2017/09/22 07:05

 ここからは私のメモと記憶だから、多少怪しいけれど…。 加藤三明さんは、 桑原三郎先生が1985(昭和60)年~88年に幼稚舎新聞に連載した『福澤先生 百話』に写真をつけるため、史跡めぐりを始め、大阪や長崎などにも行った。  中山理先生に言われて、その旅行の紀行文を幼稚舎の雑誌『仔馬』に出すと、 文がいい、男らしいと褒められ、「豚が木に登った」と言う。 土橋俊一先生、 山口一夫先生から、感想の手紙を頂いて、「豚が空を飛んだ」そうだ。 福澤諭 吉協会のアメリカへの旅には、最年少32歳で参加、粋な計らいで85,6歳の清 岡暎一先生と同室になった。 清岡先生は二週間の旅にビジネスバッグ一つ、 ホテルに着くとワイシャツをクリーニングに出す。 あるホテルは日曜日でク リーニングが休み、清岡先生のワイシャツを洗面台で洗濯したこともあった。  そのご縁で、清岡先生は毎年、幼稚舎の卒業式に出て下さった。

 一人でヨーロッパへ行った(もう結婚していたと思うが)、山口一夫先生の『福 澤諭吉の西航巡歴』をガイドブックにして…。 キングスカレッジスクールは、 1897年にウィンブルドンに移転していた。 同級の堀君がウィンブルドンに住 んでいるのを思い出し、連絡すると、その学校なら家の前だ、来て泊まれと言 う。 担任していた伊藤君はイギリス帰りだったが、知り合いの娘さんの家庭 教師だった人が、キングスカレッジスクールで日本語の教師をしているという 縁もあって、ふつうなかなか見学できない学校を見学することができた。

 キングスカレッジスクールが、ウィンブルドンに移転したのは、ロンドンの 敷地が狭く、運動を重視したからだ。 驚いたのは、ラグビーチームのジャー ジやボートチームのユニホームやテントがブルー・レッド・ブルー、中学生の ブレザーは紺、小学生のブレザーは赤、ブルー・レッド・ブルーのネクタイを している。 慶應の三色旗と同じではないか。

 オックスフォードにある名門の私立小学校ドラゴンスクールを見学したら、 雰囲気が慶應義塾幼稚舎によく似ていた。 生徒が学校を楽しんでいる。 他 のパブリック・スクールのような、規律の正しさはない。 他では、食堂に一 段高いハイテーブルがあって、監督生が見張っていたり、客人が入室すると、 一斉に起立したりするが、ドラゴンスクールではそういうのがない。 交流を したいと言ったら、機会があったらね、という返事だった。 校長ご夫妻を、 日本に招待して、幼稚舎の運動会を見てもらったり、箱根の大涌谷や鎌倉を案 内した。 すると、ここにうちの生徒を連れて来る、と言い出した。 交流が 始まった。

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