ドラゴンスクールと幼稚舎の交流2017/09/23 06:33

 ドラゴンスクールの創立は1877年(幼稚舎は1874(明治7)年)、オックス フォード大学の教授が妻帯を許され、家族が来たことで、オックスフォード・ プレップ・スクールが出来た。 セント・ジョージ校(赤地に白いクロス)と ラグビーの試合をして、ドラゴンスクールを名乗ることになった。 開明的な 創立者で、初めから男女共学、寄宿舎生と通学生の両方がいた。 自由な教育 で、幼稚舎と親近感がある。 創立者は“スキッパー”ライアンと渾名で呼ば れ、それも幼稚舎に似ている(カトセン、ミウラッチ)。 生徒は7歳~13歳。  制服がなく、セーターを着ている。 イギリスでは、セーターのことをジャン パー、運動靴をトレーナーズ、長靴をウェリントンと言う。 教育の施設は充 実している。 少人数、25名のクラス。 上の学年になると、ラテン語、フラ ンス語、数学など、能力別に12名とか、2,3名~8名などもある。 授業は密 接、先生との掛け合い状態になる。 スポーツ、演劇、音楽、海外への修学旅 行なども盛ん。 教育の狙いは、生徒を強く好奇心旺盛な心を持つ独立した学 習者にすること。 生徒達は、知識を得て将来の挑戦に備えることを理解し、 新しい課題や状況に対応する力を身につける。 慶應義塾の教育方針と同じだ。  広い敷地に、ラグビー場やテニスコートは何面もある。 学費は年間、寄宿舎 生で3万ポンド(450万円)、通学生で2万ポンド(300万円)、幼稚舎の120 万円よりだいぶ高い。

 最初に見学した時の報告を読んだ中川眞弥舎長が、それはいいということに なり、ちょうど慶應義塾の一貫校にも海外研修費用が出ることになったので、 ファンドの第一回に、1994(平成6)年イギリス大好きの小田卓爾中等部長が 団長、中川眞弥舎長が副団長でパブリック・スクール視察団がイギリスに行っ た。 中川先生は幼稚舎の全教員に見せたいと言い、1995年5月連休にかけて 加藤さんたち4人で行った。 それで1996(平成8)年からは、毎年4月下旬 に幼稚舎の6年生の男女計12人が、教員4人に引率されてイギリスへ行き、 10日間、ドラゴンスクールの児童の家庭にホームステイし、授業に参加するよ うになった。 10月下旬、今度はドラゴンスクールの児童が来日し、幼稚舎生 の家庭にホームステイし、幼稚舎の授業を受ける。 その間に行われる運動会 は両校児童の交流のクライマックスになるという。 昨2016年は、両校交流 の20周年、ドラゴンスクールの校庭にケヤキを、幼稚舎の校庭にオークを、 それぞれ記念植樹した。

 両校は教員同士の交換研修も行っている。 幼稚舎の教員の8割ぐらいは行 っている。 学ぶことができたのは、「寛容」ということ、学校ってこうじゃな きゃならない、ということがない。

 ドラゴンスクールの教員で、3回目の交流の担当責任者、両校交流に熱心な ニック先生がいた。 日本でNOVAの教師などもしたことがあり40代、奥さ んがロンドンで弁護士をしていて、子供が生まれ、イクメンのためオックスフ ォードから、ロンドンのキングスカレッジスクールに移った。 その縁で、山 内慶太さんが横浜初等部長の時から交流があり、来年から横浜初等部とキング スカレッジスクールとの(横浜最初の)6年生の交流が始まろうとしている。

 加藤三明さんは、三色旗の話は眉唾だけれど、福沢先生がパブリック・スク ール(共立学校)のイメージで、慶應義塾を創った。 幼稚舎・横浜初等部と イギリスとの交流は、こうしよう、こうしようではなく、偶然が重なり、人が 人を呼んで、こうなってきたという。 ヨットみたいなもの、風を吹かせてく れる人がいた。 こちらは帆を張っているだけだった、と。

コメント

_ 轟亭(この続きを…) ― 2017/09/28 07:25

この続きを、9月26日、27日、28日に書きました。

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