「温水路」と江戸の絶景・象潟2017/09/25 06:59

 『新日本風土記』「鳥海山」で、もう一つ初めて知ったのが、「温水路」のこ とだった。 秋田県にかほ市の小滝地区、5月2日に田圃に「水入れ」を行な っていた。 鳥海山の冷たい雪解水や湧水を、階段状の6キロメートルの「温 水路」を通すことによって、やさしい水に変える。 階段で空気を混ぜ、3~6℃ 水温が上がるのだそうだ。 以前は、「水ぬるめ」の田圃と言って、一番上の田 圃一枚に稲を植えず犠牲にして、水を温めていたという。 昭和2年から、村 人たちが鳥海山の溶岩を積み上げて「温水路」を作り始め、完成したのは昭和 32年だった。 「温水路」によって、米の収量は3割増えたそうだ。

 ネットで探したら、「日本初の温水路」[秋田県にかほ市象潟町上郷地区]と いうのがあって、小滝温水路の写真や、長岡地区に始まり、大森、水岡、小滝、 象潟の温水路が出来た事情の詳細を見ることが出来た。

http://www.pref.akita.lg.jp/uploads/public/archive_0000003874_00/onnsuiro.pdf

 象潟(きさがた)は、松尾芭蕉『奥の細道』の<象潟や雨に西施がねぶの花 >の句で知られるように、昔は入江で八十八潟九十九島(つくもじま)といわ れた「鳥海山」噴火の「溶岩の島」、松島とともに奥羽の二大景勝地だったが、 1804(文化元)年の象潟大地震で隆起し、陸地となった。 『新日本風土記』 「鳥海山」では、象潟で田圃の広がる中に、松の生えた旧九十九島が点在する 風景を、代々守っている方が登場した。 田植えが終わった時期は、水に浮ぶ 九十九島、江戸の絶景が蘇る、その背景にはまだ雪の残る「鳥海山」があった。

 にかほ市の観光案内に写真等があったが、天然記念物 九十九島(クジュウク シマ)という読み方になっていた。 はてな!

http://www.nikaho-kanko.jp/pwm/area-5.html

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