福澤諭吉協会の先生方のご恩2017/09/26 07:15

 21日から23日に書いた福澤諭吉協会の土曜セミナー、加藤三明さんの「キ ングス・コレッジ・スクールからキングス・コレッジ・スクールへ――幼稚舎、 横浜初等部とイギリスとの交流」だが、拝聴しながらいろいろなことを思い出 した。 加藤三明さんが、中山理先生、清岡暎一先生、土橋俊一先生、桑原三 郎先生、山口一夫先生、中川眞弥先生に、数多の励ましを受けたという話をさ れた。 実は私も、30代の前半から一番若い方のメンバーとして福澤諭吉協会 に参加していた。 当時から始め、来月1100号を迎える「等々力短信」につ いて、富田正文先生、土橋俊一先生、桑原三郎先生、山口一夫先生、中川眞弥 先生、西川俊作先生、飯田鼎先生、服部禮次郎さんから、数々のお手紙や励ま しを頂いたことが、今日までの「継続」の原動力の一つになったのであった。

 加藤三明さんが福澤諭吉協会の旅行で、清岡暎一先生と同室になった話では、 私も紀州か徳島への旅行で西川俊作先生と同室になった緊張を思い出した。  私は小尾恵一郎先生のゼミの出身なので、西川先生と小尾先生が同じような研 究をして、親しかったことを知っていた。 西川先生は、気さくに小尾先生の 想い出などを話して下さった。 私が江戸川区小松川でやっていた家業のガラ ス工場を畳んだ話をすると、西川先生も平井で呉服屋さんを畳んだことがある とか言われたので、救われた思いがした。 西川先生が墨田川高校(?)の頃 から野球、後に草野球をやっておられたとは想像もしていなかった、折から日 本シリーズのシーズンで、二人でテレビを見たのだった。

 とりわけ土橋俊一先生と、桑原三郎先生には、「等々力短信」に感想のお手紙 を、沢山に頂戴した。 土橋俊一先生が病気をなさってからの、先生が左手、 本字で書かれたお手紙は、特に心に沁みた。 加藤三明さんは時間の関係で、 桑原三郎先生とイギリスの関係に、言及されなかったのだろうが、幼稚舎とイ ギリスの交流には、桑原三郎先生の存在が大きかったのではないだろうか。 桑 原先生は、1965(昭和40)年慶應義塾から派遣され一年間、英国の公的な国 際文化交流機関British Council のVisitorとして英国に留学し、『イギリスの 義務教育』(慶應通信・1970年)をまとめた。 ウィルバート・オードリーの 絵本『きかんしゃトーマス』を、最初に『汽車のえほん』(ポプラ社)として翻 訳したのは、桑原先生と清水周裕慶應義塾大学名誉教授だった。 清水周裕教 授が幼稚舎で7年間、英語を教えていたこともあったのは、先頃、桑原・清水 両先生の『汽車のえほん』翻訳の真相・補遺<小人閑居日記 2017.7.29.>に 書いた。

 山内慶太さんが、キングス・コレッジ病院やキングス・コレッジ・スクール を見学した話は、交詢社が建替え中で日本橋の三井本館に間借りしていた2002 年3月30日(協会HPは20日になっているが)の福澤諭吉協会の土曜セミナ ー「福沢諭吉の見たロンドンの医療―新発見資料を中心に」や、2008年5月 17日「あるびよんくらぶ」英国文化研究会主催の慶應義塾創立150年記念セミ ナー「英国に学ぶ」という連続講演会で「福澤先生の英国体験」というのを聴 いていた。 <小人閑居日記>に書いていたので、明日紹介したい。