映画『パターソン』の判で押したような日常 ― 2017/09/29 07:08
ジム・ジャームッシュ監督の映画『パターソン』を、ヒューマントラストシ ネマ渋谷で観た。 監督はアメリカの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』 等の「インディーズ(自主制作)映画の雄」だそうだが、まったく知らなかっ た。 広告と映画評で、観たくなったのだ。 永瀬正敏も出る。 ニュージャ ージー州パターソン市の、名前もパターソンという市バスの運転手が、判で押 したような日常の中で、暇を見つけてはノートに詩を書く。 バスの運転手が 詩を書く話というのに、惹かれたわけだ。 運転手パターソンを演じるのが、 撮影前からバスの運転まで練習したというアダム・ドライバーだから、脚本も 書いたジャームッシュ監督は「駄洒落」が好きなのだろう。
映画は、パターソンと妻ローラがベッドで月曜日の朝を迎えるのを、真上か ら撮すシーンで始まる。 火曜、水曜、木曜、金曜、土曜、日曜と一週間を、 同じベッドのシーンから描くのだが、いわゆる「ベッドシーン」になるわけで はない。
月曜、腕時計で6時10分を確かめたパターソンが妻にキスして起きようと すると、半分寝ているローラは双子の子供がいる夢を見ていたと言う、夫婦一 人ずつに子供が一人、と。 夫は一人で起きて、ミルクに浸したシリアルとコ ーヒーの朝食をとり、小さな工具箱のようなものを下げて、家を出る。 いつ もの道を歩いて出勤する。 車庫の運転台で少し詩を書いて、点検係の愚痴を 聞き、バスを発進させて、市中の路線を回る。 昼、滝の見えるベンチで、サ ンドイッチやカップケーキを食べ、ノートに詩を記す。 工具箱のようなもの が、弁当箱だったことが判明する。 午後もバスを運転して、市中を回り、同 じ道を歩いて帰宅、曲がっている郵便受けを真直ぐにして、家に入る。 妻の ローラが迎えるのだが、それはあとで書く。 夫は地下室の書斎で、詩をノー トに書き、夕食が済むと、ブルドックのマーヴィンの散歩に出かける。 途中 のバーで、ビールを一杯やって帰宅、ちょっとビールの匂いをさせてベッドに 入る。
パターソンを家で待っている妻のローラが、毎日違う表情を見せる。 ゴル シフテ・ファラハニはイラン、テヘラン出身の女優。 イラン系にはゾッとす るような美人がいるものだが、それほどでもないのが、ちょうど合う。 ロー ラは天真爛漫で実に愛らしい、いろいろと自分の理想を持っていて、魅力的だ。 パターソンはスマホも持っていないが、ローラはパソコンもやるらしい。 創 造的なアートの心得があって、着る物や家具やカーテンを飾り立てる。 ある 日は、家中にペンキを塗っていた。 稼げるかもしれないとか言って、模様入 りのカップケーキを沢山焼いたりする。
二人は貧しいが、愛し合っている。 火曜日、ローラがパターソンに、今日 は二つの話がある、聞いて欲しいという。 一つは、夫の詩の才能を信じてい るので世に出したい、秘密のノートブックのコピーを取ってくれということ。 もう一つは、教則本とDVDつきのギターを取り寄せたい、カントリーシンガ ーになる、と。 200ドル~300ドルと聞いて、夫の表情が曇る。
金曜日、帰宅したパターソンに、ローラのサプライズがある。 市松(ダイヤ)模様のギター「ハーレクイン」で、練習した「線路は続くよどこまでも」 を歌ってみせるのだ。
映画は、判で押したような日常の中にも、美しいものや優しいもの、奥深い ものがあることを、発見して、それを描き出す。
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