志木会・歩こう会で、地元を歩く2017/10/11 07:13

 7日の土曜日、慶應志木会・歩こう会、「目黒から三田へ 歴史と自然に触れ る」があって、今年も家内と参加させてもらった。 前・事務局の竹内さんが 参加されるのも嬉しい。 二三日前には当日大降りの予報で心配したが、運よ く雨は上がっていた。 7月15日発行の『慶應志木会報』VOL.37の案内に、 前回の神楽坂翔山亭本郷店での写真入りで、「最年長馬場先輩(10期)の記録 によると、H27年 日本橋~築地・越中島が23,272歩、H28年 田端~本郷・ 湯島が23,628歩だったそうです。さて、今年は何歩でしょうか?」とある。

 集合は午前10時の東急目黒線武蔵小山駅、幹事は35期の越知靖弘さんと大 澤宏樹さん、今回もきちんと下見がしてあって、用意周到の案内ぶりだった。  実は私、奥沢在住で武蔵小山まで4駅だし、生れ育ちが品川区中延で延山(え んざん)小学校を卒業、「延山」の名は中延の「延」と、小山の「山」から来て いると聞いていた。 家内は目黒の育ちで、今回のコースには、いろいろ思い 出深い所があった。 つまり地元なのである。 しかし、改めて案内してもら って歩いてみると、知らない場所や知らないことがいろいろあるのだった。  「慶應志木会・歩こう会」、侮り難い、有難い会なのである。 毎年書くが、参 加は13名、せっかくの好企画なのに、参加者の少ないのが、もったいない。

 幹事と同期で、H27年 日本橋の時は某銀行の木更津支店長だった小林恒夫 さんが、小山支店長になっていた。 土曜日なのに支店長会議があるとかで、 スーツにネクタイで登場、武蔵小山駅構内で、地元「小山」の見事な解説をし てくれた。 このあたりは筍の名産地(江戸中の大半を産した)、大正12(1923) 年に目黒蒲田電鉄の小山駅が開業したが、栃木県小山(おやま)と区別するた め翌年、武蔵小山駅になった、昭和31(1956)年東洋一のアーケードと言わ れたパルム商店街(全長800mは東京一長い)はよくテレビに出て有名、駅前 に建設中の41階建のタワーマンションの完成で様相を一変するだろう、など。  「ムサコ」という呼び名は近年のものか、馴染みがなかった。

 小山台高校の横を通って、林試の森公園へ。 「林試」は明治33(1900) 年にできた林業試験場、昭和53(1978)年に筑波に移り、平成元(1989)年 に公園として整備された。 東京ドーム2・5個分の広さ、雨上がりの森が気 持ちよい。 天恩山 五百羅漢寺へ。 江戸時代に松雲元慶によって彫られた木 造五百羅漢像・諸仏像は東京都重要文化財(現存305体)。 明治41(1908) 年に、本所五つ目(現江東区大島)から、目黒に移転した。 実は、家内が小 学生の頃、ここは尼寺で、庵主さんに日本舞踊を習ったと聞いていた。 展示 の中に、「尼僧の時代」(1938(昭和13)年~1981(昭和56)年)というのが あり、二人の写真があった。 初代は妙照尼…安藤(小久江)照(お鯉さん)、 14歳で花柳界に入り、市村羽左衛門と結婚したが、離婚して花柳界に戻り、桂 太郎の愛妾となった。 桂の死後、カフェや待合を経営したが、ある事件に関 連し、出家した。 二代目、小久江慈雲…妙照尼の義妹。 この慈雲さんが、 写真によって家内の踊りの先生だと判った。 学校から帰ると、このお寺で、 踊りを習ったり、廊下の雑巾がけをしたり、遊んだりしていたそうだ。 苦難 の時期を経て昭和56(1981)年、再建計画を立てた日高宗敏貫主によって、 現在のお堂が完成したという。 実は平成15(2003)年、兄の葬儀に、この お寺の羅漢会館を使わせてもらった。

 目黒不動尊から、目黒寄生虫館へ行き見学。 回虫やサナダ虫の見本を見て、 小学生の頃、学校でサントニンを飲まされた話をした。 検便をマッチ箱に入 れて、学校へ提出した、戦争直後の下肥が使われていた時代であった。

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