『文明としての徳川日本』<等々力短信 第1100号 2017.10.25.>2017/10/25 06:29

 芳賀徹さんの『文明としての徳川日本』(筑摩書房)は、慶長8(1603)年か ら慶応4(1868)年までの265年という長い時間に、空間も日本列島という一 地域に限定されて、ゆっくりと営まれ熟成し、やがて崩れていった、一つのみ ごとに完結した独特の文明体―徳川日本を描き出す。 「徳川の平和」が豊富 な文化を熟成させたわけだが、その徳川文明の歴史過程、文化と社会の相互作 用や異文化摂取過程は、永い平和の持続と一国文化の変容との間の相互作用と いった、世界史上のさまざまな大問題を考えてゆくためのデータの宝庫、また 智恵の鉱脈ともなるだろう、というのである。

 登場人物は多彩だ。 出雲の阿国、俵屋宗達、本阿弥光悦、与謝蕪村、渡辺 崋山ほか。 松尾芭蕉に<かびたんもつくばゝせ(蹲わせ)けり君が春><阿 蘭陀も花に来にけり馬に鞍>世界の中心に日本・春風駘蕩の江戸、徳川礼賛の 句があるのを知る。

 私の関心は、福沢諭吉。 芳賀徹さんは、大学新入生に読ませたい学問や研 究生活の入門書として、荻生徂徠「徂徠先生答問書」、本居宣長『うひ山ふみ』、 杉田玄白『蘭学事始』、福沢諭吉『学問のすゝめ』を挙げる。 『蘭学事始』は、 新井白石『折りたく柴の記』と諭吉『福翁自伝』の間にはさまって、文庫本で も星が三つほど少ない小冊子ながら、それらと並びそれらをつなぐ近代日本の 自叙伝文学の傑作だとする。 写本のみで伝わっていたこの『蘭学事始』を、 蘭学の盟友神田孝平が湯島聖堂裏の露店で再発見したと聞くと、事の重大性を すぐにさとって、二年後には木版本で刊行したのは福沢諭吉だった。 福沢は 明治23(1890)年再版の序で「(『蘭学事始』の再刊は)啻(ただ)に先人の 功労を日本国中に発揚するのみならず、東洋の一国たる大日本の百数十年前、 学者社会には既に西洋文明の胚胎するものあり、今日の進歩偶然に非ずとの事 実を、世界万国の人に示すに足る可し」と述べた。

 藤岡作太郎は『近世絵画史』(金港堂、明治36年)で、平賀源内の「西洋婦 人図」を評し「その婦人の容貌に敢為の風ある」とした。 「敢為の風」(敢え て為(な)すの気性の強さ)、「敢為の精神」とは源内の西洋研究の後輩福沢諭 吉の愛用の言葉であった。 源内の戯作『放屁論』の一気呵成に書きあげた文 章は、その回転の速さといい、諧謔、皮肉、誇張、虚談の連発ぶりといい、そ こをつらぬく自己主張と志の強さといい、『学問のすゝめ』の福沢諭吉であり、 『吾輩は猫である』の夏目漱石である。 貝原益軒の『養生訓』のいきいきと して即物的な文章を読むのは、福沢諭吉の達意明快な文章を読むのに似ている。  肖像はその人物についての理解を助けてくれる。 福沢諭吉の頭脳の構造まで が眉目秀麗であることを思わせるさまざまな写真も、そうだ。 芳賀徹さんの 福沢諭吉像である。

コメント

_ 清宮政宏 ― 2017/10/25 11:25

ブログ1100号、おめでとうございます。これからもご健勝をお祈り致します。

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