『福翁自伝』削除、その後〔昔、書いた福沢27〕2017/11/18 07:13

  等々力短信 第392号 1986(昭和61)年5月25日

             『福翁自伝』削除、その後

 イギリスのチャールズ皇太子が、12日に国会で行ったスピーチで、『福翁自 伝』を引用したと、新聞に報じられていた。 「ヨーロッパ各国へ行く」の章、 「事情探索の胸算」という小見出しの立てられた部分である。 西洋事情を調 べた時、あとで本を読んだり、字引を引いたりすれば、わかるようなところは、 どうでもよかった。 外国の人にとっては当り前のことで、字引にものせない ようなことが、福沢には一番むずかしかった。 病院の収入はどこから来るの か、徴兵制度、選挙制度、とりわけ議会のことが、さっぱりわからない。 だ から、その道の専門家とみれば、くいさがって、納得するまで質問をくりかえ し、例の「西航手帳」にメモした、という。

 「イギリスとロシアとの間がらは犬とサル」という、短信390号に書いた、 削除箇所と思われる部分は、そこから、ほんの14,5ページ後にあるから、おそ らく、チャールズ皇太子も、お読みになったにちがいない。

 丸山真男さんの『「文明論之概略」を読む』誕生のきっかけをつくったのが、 岩波書店の伊藤修さんという方であることは、上巻の著者「まえがき」に書か れている。 この本のもとになった読書会の発案者で、その世話人であり、25 回にわたる講義のテープ起し原稿の「ことごとくが伊藤氏の筆になっているの に驚き、ききとりにくいテープをよくもここまで起こしてまとめたものだ、と、 その労力と執念とにいささか圧倒されたのも事実である」と。 私が、上、中 巻の、ささいな誤植について、お知らせしたところ、当の伊藤修さんから、そ のつど丁寧なご返事をいただいて、恐縮した。 わる乗りして、ずうずうしく も、『福翁自伝』削除箇所の調べをお願いしたら、早速、親切に編集部、製作部 にあった4冊に当たって、コピーまで、送って下さった。

 岩波文庫の『福翁自伝』は、昭和29年刊行の改訂版までに、昭和12年の初 版、昭和19年の第2版があった。 問題箇所の2行は、第2版の昭和21年6 月5日第2刷では、まだ削除されていないが、昭和25年5月10日の第5刷本 では削除され、削除のあとが分らないように、註をふやして、空白が埋められ ていることが、確認できた。

 占領軍民間検閲支隊の検閲指針30項目のうち、英国に対する批判を禁じた 第7項と他の連合国に対する批判を禁じた第10項に、ひっかかったのだろう。  それにしても、占領軍もよく、こんなところまで、読んでいたものだ。

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