高山正也名誉教授の「慶應義塾と図書館」2017/11/19 07:12

 17日、大銀杏が黄色く輝く三田山上へ、第705回の三田演説会を聴きに行っ た。 高山正也慶應義塾大学名誉教授(国立公文書館 前館長)の「慶應義塾と 図書館」。 終盤、占領下のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)と、慶應義 塾の関係の話が出たので、昨日との関連で、その講演を書くことにした。

 現代日本の確立と発展に大きく寄与した慶應義塾は、図書館活動の先導機関 でもあった、と高山正也教授は言う。 その前史として、福沢諭吉の「図書館 観」から、話は始まった。 適塾のヅーフ部屋での、図書(館)利用の原体験 があり、一回目の洋行、最初のアメリカ行きではウェブスターの辞書を買って きた。 『西洋事情』では、欧州諸国の図書館、近代的図書館制度を紹介した。  以前から日本にあった文庫(研究的なものだった)に類似のものを「ビブリオ テーキ」と呼ぶ。 鋭い観察力で、ロンドン、ペテルブルグ、パリの図書館を 紹介し、国立図書館に加え、日常の生活に活用する他の図書館もある、と。 納 本制度にも触れている。

この講演には「図書館サービス成熟化の過程」という副題があった。 慶應 義塾の図書館の変遷。 福沢が三度の洋行で集めてきて、教科書として貸与(明 治31年まで)「文庫」(又は「書籍館」)(本があることが有難い)⇒「書館」(大 学部)⇒図書館⇒研究・教育情報センター⇒メディア・センター。

八角塔の50年記念図書館落成から戦後復興まで。 福沢没後の慶應義塾振 興策の一つとして、創立50周年を期して図書館の振興事業が開始され、1912 (明治45)年4月、図書館が完成した。 田中一貞(かずさだ)初代監督(4 代目までは館長と呼ばず監督)就任。 初期留学生(2回目にパリへ行った) が帰国後、図書館充実への進言をするという貢献があった。 図書館の振興策 は、蔵書の充実、留学生の貢献・活用だったが、目録の整備は進まなかった。  慶應義塾振興策は他に、学部の分科制、大学院の開設、公開講座、出版事業。 

歴代図書館監督・館長。 監督[1]田中一貞(明治38~大正10/16年5 か月間)、[2]占部百太郎(大正10~13/2年3か月間)、[3]小泉信三(大 正13~昭和8/8年11か月間)、[4]高橋誠一郎(昭和8~昭和19/12年4 か月間)。 館長(1)野村兼太郎(昭和19~昭和33/14年間)、(2)高村象 平(昭和33~昭和35/2年3か月間)、(3)前原光雄(昭和35~昭和40/4 年10か月間)、(4)佐藤朔(昭和40~昭和44/4年)、(5)高鳥正夫(昭和44 ~昭和57/12年9か月間)。                (つづく)

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