丸山真男「福沢における惑溺」の序論2017/11/29 07:28

 そこで、丸山真男の1985(昭和60)年の講演「福沢における惑溺」を、福 澤諭吉協会の『福澤諭吉年鑑』13(1986)で読んでみた。 関係のところを、 抄録してみる。

 福沢がいろいろな外国書を非常に自由に読んで、自由に活かしたということ については、十分ご承知の通りだ。 大幅に原典の文章に依拠している場合で も、比喩は全部変えて、日本史の中から比喩を取ってくるといった、そういう 能力については、強調するまでもない。

日本の学者への悪口として「横のものを縦にしただけじゃないか」と言うけ れど、横のものを縦にするのは大変だ。 その困難さの自覚が乏しい、もしく は乏しくなっていったことに、問題があるのではないか。 何百年、何千年の 伝統を持った異質的な文化との接触の問題と関係がある。 従って、そこには 非常に難しい問題がある。

私どもの祖先は、かつて中国の非常に高度な、世界に冠たる文明と接触して、 非常に苦労をして、言葉の問題でも、訓読とか、返り点とか、驚くべき発明を した。 しかし中国語と日本語では、文法の構造も、文化的背景も違う。 だ から実は大変なのだ。 荻生徂徠がやったことを一言でいえば、われわれが日 常読んでいる『論語』というものは、外国語で書かれている古典だ、というこ とを宣言したことに尽きる。 これはコロンブスの卵で、なんでもないことの ようで、大変な革命的宣言なのだ。 徂徠は翻訳にともなう「和臭」について の無自覚を突いたわけで、その甚大なショックを受けることなしには、あの本 居宣長の『古事記伝』の業績は生まれなかった。

 横のものを縦にする実質的な困難さの自覚というものは、近代日本の後の時 代よりはかえって幕末と維新の初めの思想家の方にあった。 その自覚が、ヨ ーロッパ文明を貪欲に吸収するエネルギーになったと同時に、逆説的だけれど、 彼らの思想を豊饒ならしめた、つまり、たんなる翻訳文化以上のものにしたと いう、そういう関係があるのではないか。 今日単純に「翻訳」という表現で はとうてい言いつくせないほど重要な《思想的課題》を内包していたのだ。

 維新前後にヨーロッパ語が怒涛のように流入した時、ほとんど漢語をもって 当てるわけだが、漢語を翻訳語として用いる場合、用法が三つあった。 一つ は伝統的な漢語をほぼそのまま使っている場合。 第二は、伝統的な漢語を換 骨奪胎して、やや違った意味に使ったケースだ。 たとえば「自由」という言 葉であって、もとは仏教語だけれど、江戸時代には自由というのは我がまま勝 手というような大体悪い意味で使われている。 ところがそれに今度はリバテ ィーとかフリーダムという言葉を当てるとなると、これは自由という言葉があ るにしても、意味内容に非常に大きな転換があるわけだ。 第三のケースは、 全く該当する言葉がない場合で、これは造語しなければならない。 福沢は得 意になって最初に出た全集の緒言にそのことを書いている。 たとえばコピー ライトを「版権」と訳す。 「版権」というものは文字通り無かったコトバで ある。 言葉が無いということは、そういう観念がないということの現われだ から、ある文化にある言葉が無いということも重要な意味を持つ。 もっとも 右の二と三とのケースはそう簡単に区別できないわけで、両方にまたがってい る場合もある。 たとえばブックキーピングを「帳合之法」と訳した。 恐ら く全くの造語というより、たとえやり方は大福帳式にしても、「帳合」に似た言 葉が商家にあったのだろうが、複式簿記などは想像外だから、造語とも言える わけで、二と三の中間である。

 本日のテーマ「惑溺」だが、これは福沢の思想に、とくに福沢の最も豊かな 思想形成期に、頻発してくる言葉である。 「惑溺」は、内在的価値に対する 福沢のけなし言葉である。 現実に作用する仕方というものを問わないで、そ のもの自身を尊いとする考え方は――福沢の言葉でいうならば「物の尊きにあ らず働きの尊きなり」ということを倒錯しているからだ、そういうふうに働き を忘れて、物それ自体を尊ぶのが、「惑溺」だというわけだ。

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