丸山真男「福沢における惑溺」のさわり2017/11/30 07:26

 丸山真男の講演「福沢における惑溺」抄録のつづき。 福沢が問題の「惑溺」 を、どういう文脈の中で使っているか。 三つの時期に分けることができる。  第一の時期は、これが実際は一番重要な時期になるが、福沢がこの言葉を集中 的に使った時期である。 およそ明治2年頃から、「覚書」というメモを書い た8年から11年頃まで。

 もっとも早い例が、『西洋事情二編』に出てくる。 巻之三「仏蘭西史記」で フランス革命の経過を書いた中に、ジャコバン党がルイ16世をギロチンにか けて、「政府の挙動恰も狂するが如く」「当時事を用る者の説に、耶蘇の宗旨は “徒に人心を惑溺せしむるもの”(傍点)なれば、之を廃すべしとて寺院を毀ち、 寺領を没収し、(中略)国中に布告して曰く、以後仏蘭西人は自由不羈の趣意を 信じ、公明正大の理に帰依し、此大義を以て天神に代ふ可しと。粗暴も亦甚だ し。名は自由なれども其実は然らず。今般の革命を以て仏蘭西の政治は暴を以 て暴に代へたるのみならず、改革を望みし者も自由を求めて却て残虐を蒙ると 云ふ可し。」と、ロベスピエール独裁の生んだ「恐怖(テロル)の支配」を紹介 している。

 明治7年10月に弟子の馬場辰猪に宛てた有名な手紙。 「方今日本にて、 兵乱既に治りたれども、マインドの騒動は今尚止まず、此後も益々持続すべき 勢いあり、古来未曽有の此好機会に乗じ、“旧来の惑溺を一掃して、”(傍点)新 しきエレメントを誘導し、民心の改革をいたし度、迚も今の有様にては外国交 際の刺衝に堪不申。」「吾輩の目的は、我邦之ナシヨナリチを保護するの赤心の み。」と言っている。 で、そのあとに、「内の妄誕を払わざるを得ず」……つ まり国内の平均をなそうとするには、階級制を打破して、まず妄誕を払わなけ ればならない。 この「妄誕」も、「惑溺」と同様にしばしば使っている言葉だ。  これはほとんど次の『文明論之概略』と同じ論旨である。

 福沢は『文明論之概略』の第二章で、「惑溺」の定義を与えている。 「此時 に当って日本人の義務は、唯この国体を保つの一箇条のみ。国体を保つとは、 自国の政権を失はざることなり。」 今、一番緊要な問題なのは、日本の独立を 失わないことなのだ。 そのためには、「人民の智力を進めざる可らず。其条目 は甚だ多しと雖ども、智力発生の道に於て第一着の急須は、“古習の惑溺を一掃 して、”(傍点)西洋に行はるゝ文明の精神を取るに在り。陰陽五行の“惑溺” を払はざれば、窮理の道に入る可らず、人事も亦斯の如し、古風束縛の“惑溺” を除かざれば、人間の交際は保つ可らず。既に此“惑溺”を脱して、心智活潑 の域に進み、全国の智力を以て国権を維持し、国体の基、初て定るときは、又 何ぞ患る所かあらん。皇統の連綿を持続するが如きは易中の易のみ。」

 それからとくに「惑溺」の使い方として重要なのは、西洋文明を絶対化しな いで、これを相対的に見ようと主張しているときに、「惑溺」という言葉を使っ ていることだ。 だから逆にいえば「惑溺」というのは、今日の俗語で「いか れてしまう」といいかえたらいいと思うが、科学的根拠なしにいかれてしまう のはみな惑溺だ。 と、「福沢いかれ派」を自称する丸山真男が述べていた。

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