「我々は「本が作った国」に生きている」2017/12/14 07:02

 磯田道史さんの『日本史の内幕』(中公新書)、大河ドラマ『おんな城主 直虎』 関連以外で、興味を持ったところを書いておきたい。 一つは、「我々は「本が 作った国」に生きている」である。 初出は『新朝45』2015年2月号。 磯 田さんは、日本の出版文化の充実ぶりは、世界を見渡しても類例がない、それ は江戸時代の遺産といってよく、江戸日本は世界一の「書物の国」で硬軟さま ざまな本が流通していた、と言う。 幕末史は書物で動かされた面があったと して、例を挙げる。 頼山陽の『日本外史』や『通義』、武家の興亡や、日本は だれがどのように治めてきたか、歴史を繙きながら、いかにあるべきかを説い ている。 これによって江戸後期の日本人は、時間のタテ軸による社会の変化 のあり様を知った。 清の思想家・魏源(ぎげん)の『海国図志』、西洋列強が 覇を競う世界情勢を克明に記したもの。 もともとは清の国政改革を促そうと した書物だが、これにより日本人は空間のヨコ軸で、世界で何が起きているか を知った。 阿片戦争に危機感を募らせていた知識層に読まれ、佐久間象山や 吉田松陰は大きな影響を受けた。

 当時の出版文化がすごいのは、江戸、京、大坂などの大都市だけではなく、 各藩、各地域の村々まで書物が行き渡っていたことである。 武士・神主・僧 侶の家に四書五経が揃っていたのは当り前で、むしろ庶民の家にも多くの書物 があった。 江戸時代に出されたさまざまな本が、職業知識や礼儀作法、健康 知識などのインフラを築いていた。 そこが中国や朝鮮とは決定的に違う。 中 国や朝鮮には高度の儒教文化や漢方医学の体系があったが、科挙の受験者や一 部専門家の知識に留まった。 ところが日本では、仮名交じりの木版出版文化 で、本によって女性や庶民へ実学が広がった。 識字率の高い、質の高い労働 力の社会ができあがった。 いわば「本」こそが日本を作ったといってよい。  大砲が日本を作ったのではない。 すぐに大砲も自動車も自前で作れるように なったが、日本人の基礎教養は、長い時間をかけて「本」が作り上げた。 こ の点が重要である。

 日本が植民地にならず独立を守れたのは、単に遠い島国だったからではない。  島国というならフィリピンもスマトラも、みな植民地になっている。 日本が 独立を保ってこられたのは、自らの出版文化を持ち、独自の思想と情報の交流 が行われたからである。 歴史家としていいたい。 この社会はその重みをも う一度かみしめなくてはならない。

 磯田道史さんのこの議論には、まったく同感した。 この4か月の「等々力 短信」には、つぎの4本を書いていたからである。 8月25日・第1098号「読 書と「引き出す」」、9月25日・第1099号『R.S.ヴィラセニョール』(フィリ ピン史)、10月25日・第1100号『文明としての徳川日本』、11月25日・第 1101号「『西洋事情』の衝撃」。

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