明治元年、京都堀川の目安箱2017/12/15 07:19

 磯田道史さんの『日本史の内幕』で興味を持った、もう一つ。 橋本五郎さ んが登場した。 10年前、磯田さんは読売新聞の読書委員をしていたという。  その時、特別編集委員の橋本五郎さんが言ったそうだ。 「『目安箱の研究』と いう本を書評したら、著者から手紙をもらった。その内容が一番嬉しかった」 と。 磯田さんも嬉しくなって、「その本なら私も持っています。立命館大学の 大平祐一先生が書かれた本。目安箱だけを研究した珍本です。」と答えた覚えが あるという。 その本には、明治新政府も目安を民衆から集めた、その箱は京 都堀川にも置かれたと書いてあった。

 磯田さんは、京都寺町二条の日課のように通っている古本屋で、厚紙と紐で 綴じられた一冊子を示された。 表紙には「戊辰歳分(ぼしんのとしぶん) 箱 訴(はこそ) 九冊之内 庶務掛」とあり、ある頁には「堀川目安箱」という朱 印が押されている。 かの目安箱に投函された訴状の原本ではないか。 売っ てもらい、家に帰ってむさぼり読む。 面白い。 全部で34通、維新時の京 都付近の民衆の肉声がきこえてくる。

 多いのは新たに発行された紙幣(太政官札)への異議申し立てである。 朝 廷への信用だけで高額紙幣を発行しすぎ。 少額紙幣の発行にとどめて欲しい。  貨幣の混乱状態をどうにかして。 さらに、討幕勢力が攘夷をうたっていたの に、政権を獲ると、外国人を国内に入れ、貿易を盛んにし始めたのも、民衆に は理解できなかったらしい。 さらには、新政府へ出仕する諸藩からの役人が 派手に京都で遊興し、「大酒乱行、女色に耽り」はじめたと、苦言を呈し、そう いう者は「速やかに取りかへ」てくれ、と訴えている。

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