辰濃和男著『四国遍路』2017/12/21 07:06

   お四国大学、お四国病院 <等々力短信 第903号 2001.5.25.>

 辰濃和男さんの『四国遍路』(岩波新書)を読んだ。 あとがきで辰濃さんは、 この本をどんな人に読んでもらいたいかを列挙して、「歩くことが好きな人、人 生の節目を迎えてたたずんでいる人、生き生きした自分をよみがえらせたいと 思っている人」と、書いている。 現在の私の状況に、なにやら、ぴったりの ところがあるではないか。 いろいろ捨てて、からっぽの心に、沁み入って来 るものがある。

 辰濃さんは、44歳の時に一度、四国霊場八十八か所を歩いて回っている。  その時は、半分は記事を書くためだったので、60歳になって「勤める」稼業 を卒業したら、また四国を回ろうと決めていた。 だが、なかなか歩くことが できず、70歳を前に、いま回らなければ歩くだけの体力がなくなる、これか らの自分の冬の季節をどう生きるかを問いながら、もう一度歩いてみたいとい う思いが、ふくらんでくる。

 千数百キロの行程を、辰濃さんは一人で、歩いて回る「歩き遍路」にこだわ って巡る。白衣(びやくえ)、山歩き用の古ズボン、菅笠に金剛杖、歩くほどに 重さが肩にめりこむので、簡素を旨に、限界まで軽くしたリュック。 そうい う格好で、一日30キロ、40キロの距離を、ひたすら歩く。 車の疾駆する 国道を一日中、歩くことがしばしばあって、車の地響き、風圧、騒音、排ガス、 これが心身に過酷な緊張を強いて、たいへんにつらい。 雨や風が激しい日も あれば、険しい山道もあり、道に迷うこともある。

辰濃さんは6回に分けた「区切り打ち」(霊場をお参りすることを「打つ」と いう)の四国一周に、歩くだけで延べ71日をかけて、結願(けちがん)して いる。 ひたむきに歩くことで、大自然との一体感を得る。 自分に向き合い、 自分のこころを洗うことにつながる。 歩きながら、こころを解き放つ機会が しばしばある。 辰濃さんは、遍路みちが「宇宙感覚」「太古感覚」を呼び覚ま すという。

 「歩き遍路」に四国路の人々はやさしく、辰濃さんもたびたび「お接待」と いうものを受ける。 道ばたで呼び止められて、焼き芋、滋養剤、菓子パン、 飴、自分用の保温瓶からのコーヒーまで頂く。 四国を歩いた人の多くは、自 分が歩くことができたのは自分一人の力ではない、自分は歩かせてもらったの だ、という気持になるという。 「ほどこす」「いただく」交流が、手品のよう に遍路びとの世間観を変えていく。 四国路にはさまざまな人を包みこみ、よ みがえらせてきた歴史があるのだ。