「天下を取る」手相2018/01/11 07:17

 学校を出て銀行に入って2年目の頃だった。 丸の内1丁目1番地の第一銀 行本店の貸付課の窓口に座っていた。 窓口にみえるお客様で、手相を見ると いう方がいて、どういう流れだったか忘れたが、私の手相を見てくれた。 非 常に珍しい「天下を取る」手相だと言う。 掌を真っ直ぐに横切る線が、両手 にあるのだ。 銀行で「天下を取る」といえば、頭取だろうか。 格好の話題 だったので、当時、付き合っていた女性に、この話をした。

 そんなことは、すっかり忘れていたのだが、先日、家内がこう言った。 結 婚前に、私が銀行の窓口でお客様に「天下を取る」手相だと言われたと、話し たことがあった。 もしかしたら、それが結婚を決める要因の一つだったかも しれない、と。

磯田道史さんの『日本史の内幕』に、その手相が出てきた。 2012年から4 年間、歴史時代の地震津波の研究のため、浜松市の静岡文化芸術大学につとめ ていた磯田さんは、徳川家康が数え29歳から45歳までいた浜松で、2015年 の家康公没後400年の顕彰事業に、家康公の「見える化」を提案したという。  29歳の若々しい家康像をつくることになり、肖像画や木像の写真が100枚近く 集められ、特殊メイクの達人、JIROさんの工房が制作した。 身長159セン チ、目は虎の目、二重の瞳、白目が大きく、光彩が小さい、鷲鼻、耳たぶがと ても大きい、爪はかむ癖があったのでギザギザ、まるで生きているかのように、 毛穴の一つ一つ、眼球の血管まで描写してあったのだが、磯田さんが伝え忘れ ていたのは、掌紋・指紋だった。 徳川家康の手相は、その手形から、線がま っすぐ横切っている「枡(ます)かけ」、別名「百にぎり」であったとされる。  天下取りの手相だ。 さっそく、それにしてもらった。 この家康の生き人形、 今は浜松城に展示されているという。

ネットで、手相「枡かけ」を検索した。 「ますかけ線」は、基本的に知能 線と感情線が一つとなり、真っ直ぐに掌を横切る線。 つかんだ運は絶対に放 さないと言われ、大変縁起の良い手相として知られている。 天下取りの相と も呼ばれ、人の上に立ちリーダーシップを発揮する人が多いようだ。 「ます かけ線」が現れている場合、強運に恵まれ、天才的なアイデアが生み出せると される。 集中力が抜群で、驚くような力が発揮できる。 コミュニケーショ ン能力にも長け、人を惹き付ける魅力を持っている。 性格的に頑固でこだわ りが強い面があり、成功と人の恩恵が約束されているのだが、能力が発揮でき る環境にないと、絶大な力は発揮されないことになる。

銀行は四年半ほどで辞め、家業のガラス工場に入り、60歳を過ぎてから、そ れを畳んで、小人閑居窮々自適の暮しに入った。 天下を取るなどとはまった く無縁に、世の中ついでに生きてきて、ともかく76歳(まもなく77歳)まで なんとか元気で来られたのは、強運だったということだろう。 それを支えて くれた家内に恵まれたのも、「枡(ます)かけ」線のおかげなのかもしれない。