都倉武之さんの福沢「執筆名義」考・序論2018/01/20 07:25

 毎年、クリスマスの頃に届くのが『福澤諭吉年鑑』(福澤諭吉協会)である。  最新『福澤諭吉年鑑44』2017の、山田博雄さんの「研究文献案内」で都倉武 之さんの「福沢諭吉における執筆名義の一考察―時事新報論説執筆者認定論へ の批判」という論文を知った。 山田博雄さんの「研究文献案内」だが、その 年の福沢研究を目配りよく渉猟し、深く読み込んで、案内してくれていて、ま ことに有難い。 都倉さんの論文は、2016年12月『武蔵野法学』第5・6号 371~409頁所収、山田さんが親切にも大学紀要論文等がインターネットで閲 読可能であることを紹介し、URLまで書いてくれていたので、さっそく読むこ とにした。 http://id.nii.ac.jp/1419/00000438/

 「はじめに」に、以下のようにある。 福沢諭吉の著作を特定するというこ とは、福沢研究の当然の前提である。 しかしいわゆる「時事新報執筆者認定 論」が提起され、福沢が創刊した『時事新報』の無署名社説のどれを福沢の全 集に収録するかという判断の基準がかならずしも明確でない事実が共有された ことにより、この当然の前提が揺らいでいることは、周知の通りである。 都 倉武之さんは、大正14~15年刊行の『福沢全集』全10巻と昭和8~9年刊行 の『続福沢全集』全7巻(併せて『旧全集』と呼ぶ)の編纂者である石河幹明 の恣意性をことさら強調し、現在の議論の混迷の原因を石河の人格に帰する如 き議論には一切与しない。 しかし所与の前提と考えられていた全集の存在が、 今日の研究水準に合致しないことが明らかになっていることはきわめて重要な 問題である、とする。

 都倉さんは、『時事新報』が一般に福沢の新聞として知られていた事実も重視 すべきであると言う。 福沢は『時事新報』の経営や執筆と無関係であるとい う建前を整えていたが、これは当時の言論取り締まりを回避するための方便で あり、実際は福沢の新聞であり、彼が筆を執っていることは公然の秘密であっ た。 伊藤正雄編『明治人の観た福沢諭吉』をみれば、同時代人が『時事新報』 と福沢を一体のものと認識していたことは明らかである。

 福沢は晩年の明治31年、全5巻で自ら全集を編纂した(この稿で『自選全 集』と呼ぶ)際、基本的に単行著作のみを収録し、日々の『時事新報』社説は 収録しなかった。 『福沢全集緒言』で、自らの著作を「寄集めて之を後世に 保存」することは「近世文明の淵源を知るに於て自ら利益なきに非ず、歴史上 の必要と言ふも過言に非ざる可し」とまで自負している。 素直に読めば福沢 が収録しなかったものは「後世に保存」する「利益」がないと言っていること になる。

 福沢はどの文章を誰がいつ書いたと世に示すか、といういわば執筆者の名義 に極めて強い自意識を持っていたと考えられる。 福沢は自分の書いた文章を 自分の書いたものとして世に問うだけでは飽き足らず、時に他者の名を騙り、 あるいは無署名とし、それがどのような媒体で世に出るかにも固執した。 そ れは自分の情報発信が何らかの結果をもたらすことに激しく貪欲な功利的姿勢 から出た自意識といえよう。 言説に対する尋常ならざる鋭敏な感性を持ち、 それを駆使していた人が福沢なのであり、それが福沢という人物のその人物た る所以の一角をなしているのである。 これについて、鎌田栄吉(慶應義塾長、 文相)は、思想は常に一貫していながら、表面的言説が自在に変化するコンパ スに例え、丸山真男は「状況的思考(situational thinking)」、土橋俊一は「複 眼思考」と形容した。

 しかしながら、近年は個別の言説(特に『時事新報』社説)を同時代性から は分離し、それぞれを一個独立の著作のように解釈し批評する研究が多くみら れる。 そこには福沢という民間の一個人によるトータルな社会活動や国家構 想との関連でどのような意味を持っているかという同時代的視点からの整理が 欠如している。 福沢の言説は後日並べて比較すれば「自家撞着」(同じ人の言 行が前と後とくいちがって、つじつまのあわないこと)に満ちているのである から、侵略的な言説のすぐ近くには、リベラルな言説が同居したりしている。  重要なのは、福沢がその言説をそのタイミングで、そのような表現で発信しよ うとした意図を検討して位置づけることであり、そうすることで福沢の言説は その時点の読者との関係性において「自家撞着」ではなくなるはずなのである。

 都倉武之さんの、この論文の目的は、福沢の言説が表面的に「自家撞着」に 満ちているだけでなく、体裁を自在に変え、時に他者の名前さえ騙ることなど を明らかにすることを通じて、実に多様な側面を有することを再確認し、福沢 の言説の再構築を図ろうとするものである。 このことを、端的に福沢の「執 筆名義」(authorship)の問題と呼ぶことにする。

 以上、都倉武之さんの論文の「はじめに」を概観した。