2008(平成20)年、平山洋著『福澤諭吉』の挑戦2018/01/27 07:21

       等々力短信 第987号 2008(平成20)年5月25日

             平山洋著『福澤諭吉』の挑戦

 5月10日、平山洋さんの『福澤諭吉』(ミネルヴァ書房)が上梓された。 副 題は「文明の政治には六つの要訣あり」、既刊六十を数えるミネルヴァ評伝選の 一冊だ。 平山洋さんの衝撃的な『福沢諭吉の真実』(文春新書)は、2004年 12月25日の「等々力短信」946号「創立150年への宿題」で紹介した。 今 度の本は、その延長上にある。 帯には「今までの研究は何だったのか」とあ り、問題提起の挑戦的姿勢は変わらない。

 平山さんが「新たな福沢像」として提示するのは、主に四点である。 (1) 福沢には「侵略的絶対主義者」の要素はなく、徹頭徹尾「文明政治の六条件」 をアジアに広めようとした伝道者「市民的自由主義者」だった。 (2)福沢 の思想形成に郷里中津の儒者野本真城が大きな影響を与えていた。 (3)維 新後明治14年政変までの著作は、議院内閣制度を定めた憲法の制定を政府に 迫る活動であった。 (4)巻末の「時事新報論説」に関する資料によって、 従来過大評価されていた日清戦争以降の言論活動に根拠がないということが明 確化できた。

 『福沢諭吉の真実』以後、時事新報の福沢論説についての研究は少しずつ進 んではいるが、私が「創立150年への宿題」で期待したほど活発な議論が展開 されてはいない。 どちらかといえば、平山さんは異端視され、無視されてい るといってもよい。 福沢が『文明論之概略』で説いた、文明はどれも、異端 妄説、多事争論から生れる、ということをあらためて思い出す必要があるだろ う。

 私が今度の本で面白いと思った点を二つ挙げておく。 まず、中津藩内に、 保守派と改革派、実学派と尊王派の争いがあり、それが福沢の長崎遊学から蘭 学塾開塾まで複雑にからんでいること。 福沢は要請を受けて砲術家、軍事専 門家として育ち、福沢塾も主に西洋の軍事技術を研究する場であったのが、三 度の洋行を経て英国のパブリックスクールを範とした教養教育の場に変質した。  第二に、『福翁自伝』の空白期間と、秘匿されたのか登場しない人々。 咸臨丸 帰国から、遣欧使節出発までの一年半の動向…攘夷で険悪、身の危険、黙って 勉強。 元治元(1864)年10月から再度の渡米までの26か月間…長州征伐の 政治活動をした、明治政府関係者への敵対行動だった関係で。 登場しないの は、父方の祖母楽、野本真城、橋本左内、大鳥圭介、小栗忠順など。

 多くの人に『福澤諭吉』が読まれ、論争の巻き起こることを期待したい。

(平山洋さんの本は近刊の『「福沢諭吉」とは誰か』(ミネルヴァ書房)を「等々 力短信」第1101号 2017(平成29).11.25.「『西洋事情』の衝撃」でも紹 介した。)